Hakuto-日記

定年後を楽しく、生きたい人生を生きる!

2ヶ月ぶりの句会 【2日連続】

広福寺の石段

今年に入って参加した句会は5回。

1月に2回、3月1回、そして5月は2日続けて参加した。

所属する句会は1月に参加してから4ヶ月ぶり、俳句結社主催の句会は3月以来である。

いずれにしても2ヶ月ぶりの句会で、清記した紙を右に回すのか左に回すのかわからなくなってしまうくらいであった。

その間、俳句の作り方も思い出せないくらいに他のことに熱中していた。

それは、以前のブログを見てもらえばすぐにわかることなので、今回は吟行と句会の話など。

 

5月14日

俳句の作り方を忘れたというのは、あまり芳しくない成績の言い訳でもあるのだが、幸いにも1句だけ、特選となり評価された。

 

この日の句会は兼題があり、そして到着時間もギリギリだったので吟行できずに過去の経験を思い出しながら作句した。

それも、家から句会場まで向かう途中で作ったものだ。

 

兼題は「母の日」「麦秋」「山女」の3題で投句は8句である。

 

母の日は、5月第2日曜日となっている。

我が師の誕生日は5月12日で、看護婦でもあった師はいつも「ナイチンゲールと同じ誕生日なの」と嬉しそうに語っていた。

そして、我が母の生まれた年と一年違い。

こうしたことから母の日と亡き師とをつい重ねてしまう。

 

また、句会に入ってから親身になってご指導くださった方も母と同年代で、この方は師の亡くなる前年に亡くなられてしまった。

だから母の日というと、このお二人の顔を思い浮かべてしまうのだ。

 


麦秋というのは、初夏の麦は青々とではなく、まるで枯れ始めたような色になることから麦の秋という。

 

思い出すのは、自転車日本一周でまだ走り始めたばかりの頃、栃木県から福島県の県境で見た麦畑である。

田植えが終わったばかりの緑一面の田んぼから、突然茶色の麦畑が現れたのが印象的であった。

 


山女はヤマメと読む。

ヤマメといえばぼくにとっては幻の魚。釣れない魚なのである。

よって、ヤマメ釣りの様子を詠んだ句がまわってきても、そんなんじゃ釣れないというツッコミを入れて、結局、他人の句をとることができなかった。

 


ここで、特選をいただいた句を披露させてもらうと、

 

  鯉のぼり色塗り分けて切り抜いて

 

という兼題ではなく嘱目の句である。

あえて解説はしないので、ご自由に解釈願いたい。

 

 

5月15日

枡形公園入り口

翌日は俳句結社主催の句会で、句会場は同じ川崎市の会議室だった。

こちらの句会では、兼題はなくて吟行してそのときに出会って感じたことを句にする。

 

前日は吟行をする時間がなく直接句会場に入った。しかし、この日は会場の近くにスーパーカブを停めて、そこから枡形山を越えて民家園までを吟行することができた。

ただし、他の方々よりは短い時間で急ぎ足の吟行とはなったが。

 

途中、由緒あるお寺に立ち寄ったところ多くの句仲間と出くわした。おそらく民家園から枡形山を越えてこちら側に降りてきたところだろう。

だいたいいつもこんな調子で出足が鈍いのである。

 

我が家にはテレビがなく、NHKの大河ドラマも見ていないが、現在放送されている「鎌倉殿の13人」に稲毛三郎重成という人物が登場するらしい。

この稲毛三郎重成は頼朝の正妻政子の妹を妻とし、枡形山に枡形城を築城した。

そして稲毛重成は枡形山の麓にある広福寺の墓所に眠っている。

 

広福寺の菩提樹

 

枡形城のあったところは現在公園となっていて、家族連れが思い思いに新樹の木陰で寛いでいた。

ここには展望台があり、遠く富士の山や丹沢、反対に目を転じればスカイツリーや高層ビル群が見渡せる。まさに地平線がまあるく見えるところである。

 

目の前には大木の若葉が今にも手の届きそうなところで風に靡いている。

 

ここは桜の名所でもあり、桜の時期にはやはり大勢の家族連れで賑わう。

ここから尾根伝いに少し歩いてから反対の谷に降りていくと、前回来た時の道を逆に歩くことになり、岡本太郎美術館にたどり着く。

 

しかし今回は時間もないので尾根道は行かず、すぐに反対側の谷へ降りていく。

そこは、低山ではあるが逆にそれだからこそ山全体が緑に覆われて、人も鳥もその大いなる新緑に飲み込まれる。

 

万緑は人のこころを癒してくれる。こころの傷を修復する作用がある。生きる力が回復していくのがわかる。

わたしたちはこうした森を後世に残していかなければならないと、しみじみとからだ中に感じるのである。


こうして句会場に到着し、会費を払って投句する短冊、清記用紙、選句用紙、投句控用紙をもらって句会が始まった。

 

結果はあまり良いとはいえず、互選では2回しか名乗れなかった。幸いにも先生の並選に4句ほど入り、涙を流さずに帰ることができた。

 

毎回思うことだが、次回は早めに行動し、ゆっくりと吟行を楽しみたいと思う。


では、このへんで

 

 

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