Hakuto-日記

定年後を楽しく、生きたい人生を生きる!

前日の雨晴れ渡る紀元節 【月例句会に参加して】

 

2月の第2土曜日、月例の句会があった。

前日の朝は雪。その後雨になる。

昨日は雨の中の出勤。結構強い雨だった。

そして帰りは出勤時よりはましかと思っていたら、だんだん激しい雨となる。

さらに気温が低くて手が悴んだ。

それが翌日は快晴。そしてポカポカ陽気。

今日は建国記念の日。そして以前は紀元節。

 

句碑の梅ふふむ

 

我らが句会の本拠地は川崎市。

そこに高濱年尾の句碑がある。

高濱年尾は虚子の長男である。

 

句碑は高濱家の関係者が建立したもの。

句碑には「そぞろ来て 夜の梅林を 抜けんとす 年尾」と刻まれている。


昨夜遅く、兼題句を作っていたために目覚めが遅かった。

それで句碑周辺を吟行する時間がなくなり、句碑だけを見に行った。

 

句碑裏に植えてある紅葉の葉は皆落ちてしまっている。

まだ小さいけれど枝枝には新しい芽が吹き出していた。

背後からは暖かな午後の日差しが差し込んでいる。逆光に光る枝が眩しかった。

 

隣には句会の記念樹である枝垂れ梅がまあるい蕾をつけていて、そのうちのいくつかはすでに花開いていた。

 

いっきに春が来たみたいだ。

俳句では、立春以降はすでに春としている。月でいえば、2月、3月、4月が春である。

そして今頃は初春。その後仲春となり晩春となる。

 

 

ホトトギス新歳時記

 

この、季節と暦との関係は少し厄介で、たとえば「睦月」といえば1月のことだが、「ホトトギス新歳時記」では2月の季題(季語のこと)として載っている。

この1月とは旧暦のことなので、新暦では1月下旬から3月上旬頃になるそうだ。

 

ちなみに、季節とは関係ないが、この「新歳時記」では、漢字は旧字体で書かれていて、ふりがなが旧仮名使いと現代仮名遣いとの両方が使われているたいへん親切なものである。

 

旧暦は現在も行事などで残っていてややこしい。

お盆などは本来7月15日だが、新暦の7月15日では都合が悪いと8月15日にする地方が多くなり、どちらもあるというのが現状だ。

 

このあたりの季節のずれについては、歳時記を編んだ稲畑汀子氏も悩まれたようである。

所有の「ホトトギス新歳時記」(1986年(昭和61年)5月30日初版、1992年(平成4年)10月20日第15版)の序にそのことが書かれている。

 

[四季の区別]

  四季の区分については明治時代、それまでの太陰暦に代わって太陽暦が採用されてから月との関係が変わり幾つかの矛盾が生じた。例えば、春であった新年が一月となって寒の前となり盆が七月の暑中となった類である。
  しかし、これらはその後の生活の中にいろいろの形で定着して来ており、俳句では立春、立夏、立秋、立冬を各季の初めとする陰陽五行説を採用し、月でいう場合、その大部分が所属している、二、三、四月を春、五、六、七月を夏、八、九、十月を秋、十一、十二、一月を冬とするのである。
 この五行説による区分は中国における季節感を基本とするのであるが、おおむねわが国にもあてはまっているようである。
  ところで春を二、三、四月としてみると、月名の異称である「睦月」「如月」「弥生」というのが感じとしてそれぞれに対応することとなり、五、六、七月は「卯月」「皐月」「水無月」となった。したがって十二月は「霜月」にあたるわけであるが、「師走」という異称も捨てがたく、結果として十二月に「霜月」と「師走」を入れることとした。なお、このことは虚子編『新歳時記』を踏襲したまでである。

 

また、序によると虚子編「新歳時記」が出版されたのは昭和9年11月で、その後同14年、同26年の二度にわたって小改訂を行ったとのことである。

 

そして高濱年尾が大改訂を行うことを計画したが、実現しないままに亡くなってしまったので、その遺志を稲畑汀子氏が継いで、稲畑汀子編「新歳時記」が誕生したとなっている。

現在、第3版が最新である。

 

 

句会中にざわめきが

本日の句会はぼくともうひとりとが当番だった。

短冊を配ったり披講したりする。

参加者は、定刻までに句を短冊に書いてテーブルの上に置く。

 

その定刻の少し前だ。

遠くからサイレンの音がした。あれは消防車だな、と思って聞いていた。

なんだか近くでサイレンが止んだようだ。

 

皆が窓の外を覗く。

「ほら、見て。消防車がそこに止まってる」

「蕎麦屋のあたりかしら」

「蕎麦屋よりもっとこっちよ」

「煙が出てるわよ」

「訓練かしら」

「私ダメだわ。気になって俳句に集中できない」

 

その後からほかの消防車もやってきた。

そこで、近くに住んでいる仲間が「私ちょっと見てくる」といって出ていった。

そして戻ってきて「そこのアパートの2階が火事だそうよ。本物の火事」

 

だが、すぐに消し止められたようで、近隣の住人に対して「鎮火しました」とのアナウンスがあった。

それでようやく安心して句会を行うことができた。

 

披講を担当したぼくも難読漢字になやまされながらも無事に終えることができた。

 

今日はいつもの講師が欠席されたため、準講師のお二人が選者となった。

そのお二人から、合わせて3句の特選をいただいた。

タイトルの句はそのうちの1句である。

 

 

最後に

近所の工事現場

2月11日は紀元節である。

紀元節とは、神武天皇の即位した日を祝日としたものである。

 

大東亜戦争敗戦後に廃止されたが、1966年(昭和41年)、「建国記念の日」として復活。翌年より実施された。

 

せっかく復活させたのなら、神武天皇について書かれた「日本書紀」あるいは「古事記」についても教科書に載せて欲しいものである。

 

戦前に教育を受けた人は知っているのが当たり前だったのに、その後に生まれたものは、大人になって学んだひとでなければ知らない、あるいはなんとなく聞いたことがあるといった現状なのである。

 

日本人が日本の成り立ちを教わらない国っておかしいとおもいません?

 

 

では、このへんで

 

 

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