伝統俳句協会のホームページには、俳句入門講座というページがあります。
そこでは、守る、切る、写す、省く、練る、吟う(うたう)、跳ぶ、集うと銘打って8つに分けて解説をしています。
今回は、その中の初めの2つ、「守る」と「切る」についてとりあげたいと思います。
これを読んで、俳句に興味を持っていただけたら幸いです。
【目次】
守る
ここでは、俳句の約束ごとについて述べられています。
その約束ごとはたった2つ。
- 5・7・5 の 17 文字(音)で作る
- 季節の言葉(季題)を入れる
これだけです。
俳句の多くはこのとおりですが、なかにはこれを崩した俳句もあることを知っておきましょう。
つまり、ここで述べられているのは俳句の基本といってもよいでしょう。
5・7・5 の 17 文字(音)で作る
「和歌から連歌、連歌から俳諧が生まれ、その俳諧の発句が独立したものが「俳句」です。
5 音と 7 音 の繰返しは、古くから日本人にとって快く感じられるリズムなのです。」
と書かれています。
以前の記事の中で、俳句の歴史について書きましたので、そこから少し引用します。
江戸時代に入り、短歌の発句の5・7・5を詠んだものを受けて次の人が脇句の7・7を作って次々に続けていくという連歌が、言葉遊びを中心とした滑稽で軽妙な俳諧へと進み、貞門派と呼ばれる俳風が生まれました。
すると、もっと滑稽さを求めた談林派が隆盛となり,そこからひとり抜け出して、芸術性を追求した松尾芭蕉があらわれました。芭蕉が追求したのは発句の芸術性で、以後、発句の独立性が高まりました。そして 明治なって成立した俳句へつながってい きます。
正調の句として以下の句が挙げられています。
行春(ゆくはる)を近江の人とをしみける 松尾芭蕉
幾たびも雪の深さを尋ねけり 正岡子規
とヾまればあたりにふゆる蜻蛉(とんぼ)かな 中村汀女
破調の句
句またがり(言葉が上の句と中の句、または中の句と下の句にまたがる)
明ぼのやしら魚しろきこと一寸 松尾芭蕉
大学のさびしさ冬木のみならず 加藤楸邨
字余りの句
赤い椿白い椿と落ちにけり 河東碧梧桐
雪はげし抱かれて息のつまりしこと 橋本多佳子
季節の言葉(季題)を入れる
ここには「俳句は季節を諷詠する文芸です。」と書かれています。
俳句というものは、以前書いたとおり、明治時代に正岡子規が定義したものです。ここも以前の記事を引用します。
現在、みなさんが「俳句」と呼んでいるものは、明治時代に正岡子規が定義し世に広めたものにほかなりません。芭蕉の確立した発句の芸術性、これに蕪村の写実性を備える、5・7・5の17文字という俳句はこの時できたものです。その後の大きな流れをみると、子規門下の双璧といわれた河東碧梧桐(かわひがし へきごとう)と高浜虚子の二人の確執から二つの流れに分かれていきました。その一つは時代とともに変化し、もっと自由な表現を求めるという碧梧桐の流れと、伝統を守って一定のルールのなかで表現を追求するという虚子の流れです。そして、碧梧桐の流れから『現代俳句協会』ができ、その中から「有季定型」は守っていこうという考えの人達が集まって『俳人協会』を作りました。虚子の流れを汲んでいるのは『伝統俳句協会』です。
当然、伝統俳句協会は「有季定型」を守っていく団体なので「季題(季語)」を必ず入れるよう説明しています。
現代俳句協会の流れをくむ人との勢力図はどのようになっているのかはわかりませんが、一般の人々には「有季定型」が定着しているように思います。
さらに虚子の流れをくむ人たちは、虚子の唱えた「花鳥諷詠」というのも重視します。また、「客観写生」にこだわる人たちもいます。
花鳥諷詠とは簡単にいってしまえば自然を詠むということ、「客観写生」とは、あるがままを客観的に絵の写生のように言葉に写し取るということ。
こうしたルールがあることは、実は初心者にとっては馴染みやすいことなんです。
それは、このルールに従っていればなんとなく俳句になってしまうからです。
さらに言えば、ルールがあるからこそ、17文字の短い言葉で様々なことが表現できるのです。
どういうことかというと、俳句をやる人たちの中に暗黙の了解があって、たとえば「花」といえば「桜」と決まっているのです。
その暗黙の了解の最たるものが季題で、それをまとめたものが歳時記です。そこには言葉の意味が書かれています。
たとえば、「冬ざれ」という季題があります。その意味は、「草木も枯れ果て、天地の荒んでものさびしい冬の景色をいう」(「ホトトギス俳句季題便覧」より)となっています。
だから、冬ざれというだけで、情景が想像できる仕掛けになっているのです。
この季題についての例句が載っていてそのあとに説明があります。
荒海や佐渡によこたふ天の川 松尾芭蕉
遠山に日の当りたる枯野かな 高濱虚子
ここでは 「天の川」(秋)、「枯野」(冬)が季節の言葉の「季題」です。
「季語」という季節を表す言葉の中に、「季題」があります。
「季題」は、和歌の時代から続く歴史的背景を持った「四季の詞(ことば)」を指します。
句会では、お題をだして参加者がその同じ題で句を作ることがよく行われます。
この題のことを「兼題」といいます。
通常、この兼題には季題を使います。
「この季題の持つイメージをうまく活用すると、広がりのある余韻の深い世界を表現することができるのです。」
こうした重要な意味を持った季題ですので、この使い方が、表現を広げるコツと言えるのではないかと思います。
ただ、季題の持つ意味が大きということは、たくさん使うと伝えたい感動の中心がわからなくなってしまう恐れがあります。
ですから、使いこなせるまでは、一つの句の中には一つの季題としたほうが、意味がよく伝わります。また、その句を聞いた他の参加者達も理解できないことが考えられます。
通常、季題が重なっている「季重なり」といって、あまりよい意味では用いられませんので、言い方は良くありませんが、季題の意味がよくわかるまでは、季題を一つにするのが無難ということになります。
季重なりで有名な句は、
目には青葉山ほととぎす初松魚(はつがつを) 山口素堂
があります。
切る
俳句は「切れの文芸」だといわれています。
「切れ」とはなんでしょうか。
句の途中や最後にあって、意味や内容、リズムの切れ目で、「切字(きれじ)」という言葉をつかって「切れ」をつくります。
たとえば、「かな」「けり」「や」などですね。
この切字によって、余韻や余情を呼び起こし、空間的な広がりやこころに染み込むような深みを感じさせてくれます。そして句の主題を強調することができます。
さらに韻律を生み出して格調ある句の姿になります。
切字を使う時の注意としては以下のとおりです。
* 切字は一句に一つだけ使いましょう。
* 「や」「かな」「けり」を使って安易に形を整えるだけの使い方はやめましょう。
* 切字を使わず名詞で止めたり、連体形で止めたりして切れを強調する作り方もあります。
* 「切れ」とは句の内容の問題であり、必ずしも切字にこだわる必要はありません。
切字はつぎの18字となっています。
「や・かな・けり・もがな・し・じ・か・らむ・つ・ぞ・よ・せ・ず・れ・ぬ・へ・け・いかに」
つぎに、よく使われる切字をみていきます。
「や」「かな」は助詞で語形は変化しません。
「けり」は助動詞で「ける」「けれ」と変化しますが、「けり」の語形だけを切字といいます。
「や」は主に上五か中七に使います。「かな」「けり」は主に句末で使います。
「けり」をどう使うか
「けり」は、助動詞として過去のことを回想して述べるときに使われますが、切字として用いた場合は、気づいていなかった意外なことに驚き感動したことを表します。
強く言い切って一句を終わらせる働きがあります。
(例句)
咲き満ちてこぼるゝ花もなかりけり 高浜虚子
箱庭にほんものの月あがりけり 小路紫峡
神田川祭の中をながれけり 久保田万太郎
「かな」をどう使うか
「かな」は、 詠嘆の終助詞で体言(名詞)につくのが基本です。
(例句)
囀りをこぼさじと抱く大樹かな 星野立子
死病得て爪美しき火桶かな 飯田蛇笏
猫の子のもらはれて行く袂(たもと)かな 久保より江
「や」をどう使うか
「や」は、 間投助詞もしくは終助詞です。強調・詠嘆・疑問・反語と広い意味で用いられます。
「や」の最も基本的な用い方は、「上五の最後」と「中七最後」の二種類です。
使い方は次のとおりです。
- 「や」が一句を分断する働きをする。
- 「や」が季題(季語)や名詞などの安定感のある語につけることが多い。
- 「や」を使った句末は名詞の安定した形にすることが多い。
「や」は二物衝突(取り合わせ)の句を作る有力な切字になります。
「や」の前と後ろとは違う世界なのですよ、きちんと切り離して鑑賞してくださいね、という作者の意思を示すときに「や」で表現します。
(例句)
冬の日や縁の下まで箒の目 長谷川 櫂
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 久保田万太郎
鶴啼くやわが身のこゑと思ふまで 鍵和田秞子
夢に舞ふ能美しや冬籠 松本たかし
初雪や仏と少し昼の酒 星野 椿
まとめ
最後までお読みいただきありがとうございます。
伝統俳句協会のホームページは俳句を学び始める最初の一歩にはうってつけだと思います。俳句の基本が学べます。
そうして俳句をやってみたくなったらぜひお近くの句会、俳句教室などへお出かけください。
では、このへんで
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