俳句結社主催の句会に先々月初参加し、ひと月おいて2回目の参加を果たした。
吟行地は府中郷土の森博物館。
えっ、博物館を吟行?
なんと公園の中が博物館になっているのだった。
なにしろ展示されているのが、尋常小学校、役場、郵便局、薬屋などの建物だから。
そしてこの日の翌日まで梅まつりが開催されていた。
さて、句会はどうなった?
スーパーカブに乗っていく
この日、3月20日は前日からの寒の戻りで朝から冷え込んだ。
句会の開催告知は会員に送られる俳句誌に掲載される。
出欠の連絡不要となっており、何名参加するか行ってみるまでわからない。
とはいえ、参加メンバーはほぼ決まってきている。
そんな中へ飛び入り参加するのは勇気がいる。
だから、参加せざるを得ない口実(仕事を頼まれる)ができたときは、そのきっかけを大事にすべきである。
だが、どうも気が重い。先月は休んでしまったので、今回も休むとせっかくのきっかけがむだになってしまうと思った。
そんな考えもあり、「どうしても参加するんだ」という意気込みで準備はした。
けれど当日、目覚ましで一度起きたがすぐに起き上がるのが億劫で二度寝。10時頃には着いて吟行したいと思ったが、なんと家を出たのがその時間。
誌面の案内には「バスは30分に1本しかない」と書いてあったので、我が家からだと乗り継ぎに次ぐ乗り継ぎでうまく時間が合わないと2時間を超える。
そこで、スーパーカブで行くことにする。
しかし寒いからといって、もうあまり冬支度で行くわけにもいかない。
ハンドルカバーは先日取り外してしまった。
一応ダウンは着ていたが、だんだん寒くなってくる。
途中のコンビニ駐車場で、用心のために持ってきていた薄い中間着を着る。
家からスーパーカブで1時間半。電車とバスを乗り継いだ最短の時間よりも短い時間で到着した。
けれど、ハンドルカバーのない手は冷たくなっていた。
園内の案内
まずは園内の地図をご紹介しよう。
博物館の横が駐車場だった。
到着した時は、博物館は建物だと思っていたので、入場料(300円)を払って入ってしまうと、吟行ができないと思った。
それに入場料を支払うのは門の入口前だった。いったいどんなシステムになっているのだろう。
そんなことでとまどっていたが、地図を見てようやくわかった。園内全体が博物館なのだ。
門の前方にはコーヒーや大判焼きを売る車が止まっており、その横に売店のような建物があった。中に入ってみると、地元の物産が置いてあり、そこに美味しそうなお焼きがあったので、園内で食べようとパンとそれを買う。手に持つとお焼き(ネギ味噌)はまだ温かかった。
入場券販売機では、市内と市外を選ぶようになっていたが、入場料は変わらないようだった。
ゲートは入場券のQRコードを読み取る仕掛けだった。すぐに反応しなくて一瞬違うのかと思ったが、3回目にゲートが開いた。
中に入ると右手に博物館の建物がある。句会はこの建物の会場でやるようだ。
その正面は欅並木で左側に古い建物が並んで立っている。右手は芝生の広場で、テントを広げてくつろいでいる人たちがいた。
句会の締め切りが1時半なので、おそらく1時前には会場が開くだろう。すると、あと1時間で昼食を食べ、俳句を作らねばならない。
建物の見学をしている時間はない。
ただ、一番手前に旧府中尋常高等小学校校舎があり、村野四郎記念館となっている。並木道から細道に入るところに「鹿」という詩が書かれていた。
昔読んだことがある。たぶん教科書だ。
生というものの瞬間を捉えてドキッとする。
ちょっと中に入りたい気もしたが、玄関から中を除くだけにした。
鹿
鹿は 森のはずれの
夕日の中に じっと立っていた
彼は知っていた
小さい額が狙われているのを
けれども 彼に
どうすることが出来ただろう
彼は すんなり立って
村の方を見ていた
生きる時間が黄金のように光る
彼の棲家である
大きい森の夜を背景にして
村野四郎「亡羊記」より
欅並木の下にベンチがあった。そこでお焼きを食べる。
食べながら辺りを見回す。通りの向こうの古い建物は黒い瓦屋根で曇り空から除く薄日に鈍く光っていた。
上を見ると欅の枝が箒のように伸びて空の雲を掃いているようだ。
また、隣のベンチに母娘連れがいて、姉妹の妹の方が濡れた地面に滑って転び泣いた。
そんなことで昼食を食べながら3句できた。あと4句である。
お焼きはとても美味かった。もう一つの方もお焼きにすればよかった。
さて、眺めていた奥の方の洋館の方へ行ってみる。そこは旧府中町役場庁舎だった。薄い黄色の洒落た建物である。
その少し離れた右側は旧府中郵便取扱所で純和風の建物で個人の住宅でもあったようだ。建物の前にはポストがあり、それは木製の四角いものだった。
この2つの建物の間には梅が眺められた。
梅って日本的だよなあ、純和風住宅によく似合う。洋館には似合わない。中国が原産地らしいが本当だろうか。
梅林の中を歩いていくと、その先の大きな桜の木が満開だった。桜の木の下にテーブルと椅子が並べられ、人々が寛いでいた。
この桜は淡墨桜(うすずみさくら)というと後から教えてもらった。
するとお囃子が聞こえてきた。見にはいかなかったが傀儡師(人形使い)が芸を披露しているらしかった。
さらに奥へ行くとさっきより広い梅林で、さまざまな種類の梅が咲いていた。というかもうだいぶ散っていて、さすがに「梅まつり」ももう終わりだと思わせた。
そのなかに面白い梅があった。1本の木に白梅と紅梅が咲いているのだ。といってもほぼ白梅。紅梅は枝の先の方の一部分だけではあった。
この梅を「輪違い」といい、またの名を「思いのまま」というのだそうだ。
梅林を半周し、右手に行くと水の広場が広がる。そこを巻いていくとなんと滝があった。下から見上げるとちょっとした渓流の雰囲気である。
さらには小川を利用した水車小屋があったり、竹林があったりとなかなか変化に富んでいる。
こういうのを句材が多いというのである。そして、「句材が多過ぎて」というのを言い訳にするひとも多いのである。
いざ句会場へ
そろそろ会場へ行かなければと再び欅並木に戻ってくると、いつもの句会のメンバーの姿を見つけた。
帽子にマスクで顔はほとんどわからない。歩く姿で気がついた。
すると、「うどんの先にカタクリが咲いていると教えてもらったので見に行くところ」だと言う。
うどんというのは幟のことだ。いっしょに探しに行った。
そのカタクリは群生しておらず、控えめに二輪の花が、完璧な姿で咲いていた。
別な方から話を聞くと、初めに通った時には花は咲いていなかったそうだ。それが帰りにはしっかり花開いていたらしい。
また、蓑虫がぶら下がっているとの話も聞き、カタクリの花を見た後に探しに行った。「蓑虫」の季題は9月。これはなかなか句にしずらい。
こうして各々がばらばらに園内を吟行し、句会場の会場時間に合わせて集まってくる。
会場に入るとまずは設営だ。テーブルをロの字に並べる。
前回はかなり緊張したが、さすがに2度目なので緊張の度合いは低い。
そうなると、他の人の俳句をじっくり読んで楽しめるし、うまい句をみては感心したりする。
同じ場所を吟行して作った句は、だいたいどこのことを詠んだのかがわかっておもしろい。
ただ、あまりに限定的な、ほかの人がわかりにくい句は避けることにしている。
最後に
出かけるまでは億劫だったけれど、やっぱり行ってよかった。
今回の句会では、特選は前回同様ゼロだったが、並選に4句入った。
また、自分が選んだ特選と先生の特選とが一致したことも嬉しい。
並選の4句のうち2句は昼食を食べながら作った句、あとはスーパーカブで走りながら感じた句と園内の植物の芽吹く力がただよっている様を詠んだ句だった。
こうしたことを感じられたのもここまで出かけて来たからだ。
さらに、時間までに投句しなければならないという緊張感というか切迫感がいつもと違う自分をのぞかせてくれる。
ああ、この切迫感を味わうのは嫌なものだが、またそこに喜びも伴うのである。
では、このへんで
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