先日の句会に新メンバーが参加した。
それは、ぼくが初めに参加した句会である。
もともとは職場のサークルとして創立されたが、現在は市民団体となっている。
そのほとんどは元同僚である。
そこに新しい人が加わってくれたのだから新鮮な風が入ってきた感じだ。
そこで、初心に立ち帰って句集をみていたら、貴重な師の教えを見つけた。
わが句会の成り立ち
わが句会の歴史は古い。
創立されたのは昭和53年。
主宰は高濱虚子の長男、年尾である。
その後、長女の坊城中子が引き継いだ。
残念ながら中子師は昨年8月、天に召されてしまった。
創立当時のメンバーで中心的存在だった方も3年前の8月に亡くなっている。
時代は移り変わっていく。
現在、最年少はこのぼくである。
だから、いかに高齢者の団体であるかがわかろうというもの。
つまり、このままでは近いうちに消滅することになる。
おそらくそれを止めることはできないであろう。
中子師の教え
ぼくがこの句会に入ったのは1999年、その後2冊の句集が作られた。
そしてその前には4冊の句集が刊行されている。
最後の句集となった第6句集を見てみると、中子師の書かれた句作の心得が載っていた。
そんな教えが載っていたということすらすっかり忘れていた。
それを読んで、いまさらながら師の教えをしっかりと守っていかなければならないと決意した次第である。
俳句を作る人にとっては貴重な教えであるので、ここに引用してみたい。
(一)一句中には必ず季題を入れて十七音でリズムを整える。
(二)句の構成材料を吟味し釣り合いの良い句材を美しく配する。
(三)表現自体に強さを心がけ句に活力あるようにする。
(四)句の中から無駄な言葉を排除し十分に推敲に努める。
(五)俳句は驚きや新しいものの見方を表現するものである。
(六)以上のような精進の結果として俳句は自然に作者に与えられるものである。
いかがであろうか。
第六の、精進の結果自然に作者に与えられるというのは、まさに神が降りてきた状態である。
あらてめて師のことばに自分の精進のいたらなさを痛感する。
すでに俳句を嗜まれている方や、これから俳句を作りたいと思っている方はぜひこれらの教えを頭の片隅にでも入れていただけたら嬉しい。
最後に
最後に先日の句会で珍しく特選を頂いたので披露させていただきます。
アルプスを小さく見せて雲の峰 白陶
雲の峰とは入道雲のこと。
ああ、山はすばらしい。今度の連休ではまた山に行く予定。
楽しみである。
では、このへんで
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