パソコンボランティアの「手ほどき」に母と息子が相談にやってきた。
Zoomがうまく繋がらないというのだ。
それを聞いて少しびっくりした。
二人でZoomをやるというのだろうか、いや、きっとそうだろう。
母と息子。ぼくには想像できないが。
土曜講座
パソコンボランティアの本日メインの講座はワードで表を作ること。
講師は今回初めて行う方。
受講生は3名。
今日のぼくの役割は、講座前と講座後の打ち合わせの進行と講座記録や打ち合わせの議事録の作成など。
講師は始め簡単な操作なので30分もあれば終わってしまう内容だとして、時間前に終わってしまうだろうと話していた(講座は10時から12時)。
しかし誰もそんなことにはならないと、心の中では思っていたに違いない。
実際にやってみると、自分では30分もかからないことを教えるのに2時間でも足りないくらいなのだ。
そして案の定時間が足りなくなって、予定していた内容の最後を端折った形になった。
しかし、実に丁寧に説明していた。
母と息子の手ほどき
同じ時間、別な部屋では2組の「手ほどき」の対応をしていた。
ひとりはパソコンに新しいユーザーを作るといい、データの移行などちょっとやっかいな作業の相談。
そしてもう1組は母と息子で、パソコンでZoomをやりたいが、うまく繋がらないという相談。
講座の途中でこちらの方を見にいったところ、30代と60代と思われる二人がスマホを持ってやりとりしていた。
対応したのは最近入った20代の女性。
Zoomがうまく繋がらない原因を調べる一方、お手軽にビデオ電話のできるLINEをお勧めして通信ができるようになっていた。
そこでふたたび講座のほうへ戻ってしまったが、あとから聞いたところでは、Zoomはバージョンが古いために繋がらないことが判明したそうで、最後はどちらも使えるようになったということだった。
母と息子の関係
さて、ぼくにとって母との関係はどうだっただろうか。
すでに還暦を過ぎた老人だが、いつまでたっても母は母である。
そしてもうすでに亡くなっているが、亡くなっていても母は母である。
さらにいえば、男にとって母は永遠の存在である。
子供の頃の母のやさしさをいつまでも覚えている。
母の前では心の中は幼いこどものままなのだ。
けれど、おとなになると照れくさくてそんなそぶりは見せなくなる。
今日の母と息子のように、元気でいる時にビデオ通話で話すなんてことは照れくさくてできない。
あの息子さんはそういった感情はないのだろうかとおもわず考えてしまった。
いやいや人それぞれだろう。
母としてはどんな気持ちなのだろう。
それともなにか大事なことを話さなければならないのだろうか。
本来は相談内容に答えて自分でできるようになってもらうことが目的なので、そんな詮索などするべきではない。
しかし、あまりに珍しい母と息子の相談。
つい余計なことを考えてしまった。
最後に
いま、これを書きながら「竹内まりや」を聴いている。
竹内まりやの声には母性を感じさせるものがあるような気がしている。
母が亡くなった時、3日くらいは涙が止まらなかった。
ふとしたときに胸の奥からなにかが込み上げてきて、自分の意思ではどうすることもできなかった。
しかし、哭くだけなくと気持ちがすっきりした。
このとき初めてカタルシスというものを体験した。まさに浄化されたのだった。
手ほどきの母と息子が帰る姿を見かけた。二人とも満足そうないい顔をしていた。
では、このへんで
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