今日は衆議院総選挙。
我が家は駅から遠いため、選挙があるのかもわからないくらい静かなもの。
なんとも情けない年寄りで、先日の自民党総裁選のおかげで政治に関心を持ち始めた。その結果、小選挙区とは選びたい人を選べない制度であることを実感している。
本来国民の代表を選出する選挙なのに、選びたい人がいない場合は、実質選べるのは政党だ。消去法でやむを得ず政党を選ぶということになる。
それはともかく、そんな選挙を控えた30日に、僕の所属する日本交流分析協会でインストラクター定例会があった。
そこで教授から自我状態の解説があり、そのことからこんなことを考えた。
外部刺激は五感を通して取り入れる
「自我状態」とはなんだろう。
それは、生まれてからこれまでに経験し、感じ、行動することから成り立っている性格という一つの傾向をもった自分が、ある刺激に対して反応することだと僕は解釈している。
例えば候補者の街頭演説を聞いて、うるさいと思うのか、頑張れとおもうのか、候補者の姿を醜いとおもうのか、かっこいいと思うのかは人様々である。
教授は「外部刺激は五感を通して取り入れる」という解説をしてくれた。そうやって取り入れた刺激による心の反応が自我状態である。
五感というのは「視覚」「聴覚」「触覚」「臭覚」「味覚」だが、そのうちの視覚が60%も占めるという。
先ほどの街頭演説の場合、マイクから聞こえる声は聴覚、候補者の姿形は視覚、握手をすれば触覚、もしもそのとき汗臭ければ臭覚が働き、これらが外部刺激である。
そしてこれらの外部刺激が受け止め方を左右する。
受け止め方を左右するのはこれまで体験したことから作られていった心というものだ。
つまり、心とは五感を通して取り入れた刺激によりつくられていくということ。逆に言えば、外部からの刺激がなくては心は育たないとも言える。
ちなみに聴覚は20%、触覚は15%、臭覚3%、味覚2%だそうである。おそらく乳幼児では触覚の割合が高いと思われる。母と子のふれあいが心の形成に影響を与えることは十分に考えられることだからだ。
先日、バスに乗っていて後ろの席で若者が大声で電話していた。そこから聞こえてくる言葉は「てめえ、殺すぞ!」「いい加減にしねえと殺す」など。
危なくてだれも注意することができない。
もちろん僕も身の危険を感じながらだまって座っていた。そして、せめてバスの運転手がマイクで注意してくれたらいいのにと思っていた(僕の自我状態)。
この場合などは、聴覚だけでどんな人間かがわかってしまった。
世の中には様々な人間がいるものである。様々な性格の人もいれば善人もいるし悪人もいる。おそらくこのことは太古の昔から変わっていないだろう。
そうした社会の中で、少しでも良い社会にしていこうと努力することが、そのことに気付いたものの使命なのではないかと思う。
せめてそうした国民の代表(政治家)を選びたいものである。
では、このへんで
広告