[Gerd AltmannによるPixabayからの画像]
建国記念の日、神奈川のTAインストラクターのネットワークを確立するために、ZOOMミィーティングを行なった。
TAインストラクターの資格を取得してから5年ほど経つ。
ところが、残念なことにインストラクターらしきことはまだ何もしていない。
ミーティングに参加したものの中にはすでに講師として活躍している人たちがいる。
また、協会(NPO法人日本交流分析協会)の仕事を行っている人も含まれている。
何の活動もしていない我が身にとって、そうした人たちが話す内容には多くの情報が含まれていて、とても参考になり刺激になった。
そこで、改めて、自分にとって交流分析を学んでどんないいことがあったのか考えてみた。
- 相手を客観的に眺めることができるようになった。
- 一瞬、「ん」と思っても、ああ、無意識にでた言葉なんだと思うことができる。
- 自分のダメなところを見つけて自己卑下することが少なくなった。
細かいところでは色々あるけれど、だいたいこんなところが生きやすくなったと思えるところだ。
今回は、交流分析を学んで変化したと思うところをお話ししたい。
客観的になる
一番大きな変化は、出来事を客観的にとらえられるようになったということだろう。
これは、人の心の成り立ち(構造)がわかるようになったこと、そしてそれが行動としてどのように表れているのかの見立てができるようになったことが大きい。
交流分析では、人の心の中には子供の心(C)、成人の心(A)、親の心(P)の3つがあるとしている。
子供の心は生まれつき持っているものや子供の頃にしつけなどによって幼ごころに深く抱いた思いなどだ。
そして親の心は、親や祖父母などから植え付けられたもの。繰り返し聞かされてきたことが自分の中に取り込まれたものである。
成人の心は、成長する段階で身につけていった大人の考え方で、論理的であり問題解決思考である。
こうした3つの心のうち、その場面場面においてどれかが優位に現れる。
こうしたことを知っていると、いまこの人は成人の心で話をしているなとか、とっさのときにとる行動は子供の心だな、などと客観的に考えることができるのである。
分析的になる
次に言えるのは、一瞬は感情が現れるが、すぐに相手の言葉を分析的に捉えることができるようになったことだ。
それは上で述べた自我状態の分析も含まれるが、それよりも、相手からいま発せられたことばが、どの自我状態から発せられたのかということに意識が向けられるようになるのである。
たとえば、威圧的な態度はたいてい親の心だ。それも父親的で批判的な親の態度だ。こうした行動を取るのは、子供の頃に同じようなことを言われた経験があると思われる。
また、こちらがのんびりしていると「〇〇をしてないよ」とか「急いでやって」とか言われることがある。たいていこういう人は急ぎ足だったり、早口だったりする。
つい急いでしまうのは、親からのしつけのなかで、とくに急がなければいけないと子供ごころに強く思い込んでいることが多い。
また、ひとに命令したりするのは、そのひとの生き方が「自分はOKだけど、あなたはNOT OK」という考え方を持っている場合だ(これを人生態度という)。
人生態度やゆらぎを知る
人生態度は4つに分けられる。
①自分も相手もOK。②自分はNOT OKだが相手はOK。③自分はOK、相手はNOT OK。④自分も相手もNOT OK。この4つだ。
自分を卑下するのは2番目と4番目の場合である。
理想的なのは1番目の自分も相手もOK。
だが、これはなかなか難しい。そう簡単に変われるものではない。
ただ、この4つの態度は時に変化する。ゆらぐわけだ。
自分がNOT OKの人だって、たまには自分のことをOKと思えることがある。
また、その人が立場上の態度で振る舞っている場合もある。
全ての人がみんな同じになっては面白くないし、ちょっと大袈裟に聞こえるかもしれないが、人類が生き残るためにもさまざまであったほうがいい。多種多様でないと生き残っていけない。
つまり、「みんな違ってみんないい」。
そう思えば、わざわざ自分を卑下する必要なんてない。
問題は、人との関わりにおいて、悪い面が強く出過ぎなければよいのである。
逆に良い面だって、強く出過ぎれば相手にとって必ずしも良いとは限らない。なにごともほどほどがよいのである。
このように考えると、極端過ぎなければいいことになる。だから人生の基本的な態度はいまのままでよいということなのである。
この社会は、人に命令する人もいれば、それに従う人もいる。命令する人同士が一緒にならないようにすればうまくいくということだ。
もしそれが出来ない場合は、ルールを決めておけばいいということになる。
しかし、相手が極端な態度で向かってきた場合はどうしたら良いか。この場合、相手はたいていは自分はOK、相手はNOT OKの態度である。
ところが、相手はこちらが嫌な思いをしていることには気づいていない。だからはっきり嫌だと知らせる必要がある。そのときに感情的になるとお互いが嫌な気持ちになり、問題は解決しない。そうならないようにするためには、これまでに述べてきたように客観的、分析的に相手をみて、冷静に対処することだ。
ただ、やってはいけないのは、相手を変えようとすること。自分への不快な行為は断固阻止すべきだが、相手の心を変えようとしてはいけない。
相手には相手の人生というものがあり、他人が変えていいものではない。自分の人生は自分で決めるものである。
ただし、自分が相手への態度を変化させれば、相手が自分に対する態度を変化させることは十分にあり得る。
最後に
以上、交流分析を学んでおおいに生きやすくなったことを紹介した。
最後にミィーティング内容について少し触れておきたいと思う。
協会として、交流分析を多くの人に知ってもらうためにやるべきことは、一般向けの無料講座などの活動と会員相互の結びつきを強めるという2方向の活動が必要であるということが、今回のインストラクターミィーティングで確認された。
個人的意見としては、一般向けの活動はこれまでどおり必要だし、実績もあるようだが、現状のコロナ下では少し難しいと思われる。
そんな中、ホームページの見直しが図られ、各講座もネットで申し込めるようになるなどかなり改善が図られている。
つぎに強化すべきは、会員が自立していける体制を整えることだと思う。
2級、1級、インストラクターと資格を取得して、これを生かしきれていない人は多い。
インストラクターの資格を取得した人たちが、自立して交流分析を広めていけば、多くの人が交流分析を知ることになり、同時に協会の基盤も強固になるのではないだろうか。
ただ、そういう自分が自立していないのだが。
では、このへんで
掲載した図は以下のホームページから引用した。
関東支部のHPもあります。
ようこそ!TAのエントランスへ - 関東支部のホームページです
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