現在の平塚に住み始めて27年経つ。
途中2年ほど海老名に住んでいた。そのうち半年は日本一周のたびの空。
これまで通勤で東京へ往復するだけで、地元のことはほとんど知らない。
だから、定年後の今、通ったことのない道をふらふらと歩いたり、自転車に乗って彷徨ったりしている。
しかし、知らなかったなあ、相模川にこんな橋が掛かっていたなんて。
相模川自転車道
10月のスポーツの日だった月曜日。GIANTランドナーに取り付けたSelle SMPのサドルで郵便局まで出かけた。そのまま帰るつもりだったが、サドルの座り心地がいいのでもうちょっと走ってみたくなった。とりあえず、お気に入りのさむかわ中央公園まで行ってみることにする。
JR相模線の寒川駅も先日見つけたばかりなので、少し遠回りをして駅近くの踏切を渡った。そのまままっすぐ行くと商店街から住宅地になっていった。
さらに進んで行くと中央公園から茅ヶ崎に抜ける何度か通った道に合流した。なるほど、ここと繋がっているのか、またひとつ覚えたぞ。
この日、とても良いお天気で、お母さんたちが子供を連れて来て公園は賑わっていた。
公園を抜けて海老名に通じている広い道にでる。しばらく海老名方面に走り、倉見駅と書いてある標識にしたがって左に行くと、今度は以前ワラーチを履いて初めて歩いてみた道に出た。
あのとき発見した水神宮が確かにある。そして前に歩いた道をなぞっていき、木々に囲まれた薄暗い遊歩道を通る。
そういえばあのとき相模川沿いの土手の上にきれいに整備された道があったっけ。人と自転車だけが通れる天国のような道。
けれど、天国はあっけなく終わる。以前はそこで右に折れていいき、大木の根本に大山を祀る石仏を見つけた。
そちらの方に行こうとしたら、立体交差の地下のトンネルから自転車でやってくる人がいた。そっちへいってみようかと思い、少し戻って坂を下っていった。
トンネルを潜るとすぐに車止めがあった。自転車は脇をすり抜けられる。上には首都圏中央連絡自動車道(圏央道)が走り、道路の脇はフェンスが張られていた。フェンスに挟まれていくと、左にもフェンスが伸びている。よし、いってみるか。少しいくとなんとそこにも天国があった。
大きく分断されてはいるけれど、たしかに人と自転車用の広い土手の道である。ここには人がたくさん歩いていたり、自転車に乗っている人たちがいた。とくに学生(高校生か)が目立った。釣竿をもったおじさんも自転車でのんびり走っている。
後で調べると「神奈川県道409号相模川自転車道」とあった。
相模大堰管理橋
面白いのでズンズン進んでいくと、目の前に間隔を置いて建物が建っている橋が見えた。そしてなんと、その橋を学生がどんどん渡っていく。
通れるんだ。
これが相模川大堰管理橋という橋だった。ここも車は通れない。人と自転車のみである。うれしい。自転車は通れるんだ。Googleマップでも細すぎて拡大しないと見えないくらいの橋だ。
Googleマップで探すと近くに高校があった。きっと厚木市から相模川を渡って海老名市にある高校に通っているんだろう。
Wikipediaによれば、相模川の取水堰で、令和2年3月31日から通行できるようになったとのことだ。
大発見である。すぐに渡り切ってはもったいない。そこで自転車を押しながら歩いて渡ることにした。
気持ちがいい。車の通らない橋。なんて素敵な橋だろう。
ただ、11月下旬から来年2月中旬まで道路工事のため通れなくなるらしい。ここを通っている学生たちは遠回りをしなければならないことになる。かわいそうに。
そのあとも未知のエリアを家の方角に向かって走っていく。ここは、厚木と平塚を結ぶ旧道の川寄りの地域で、小学校や団地、住宅などがあった。旧道はよく通っているのに一つ道を入るとまったく初めての土地になるのが不思議である。
残念ながら、相模川に注ぐ小さな川が結界となり、そこからは見慣れた現実の世界に戻ってしまった。
最後に
「初」というのはとても大事である。
それはたった一回きりのことだからである。一度知ってしまうともう後には戻れない。それが宿命である。
心理学でも、点がたくさん集まっているただの図柄のようなものが、ひとたび解釈を与えられるとその絵が浮かんでくるというものがある。
あれなども、一度知ってしまうともう後には戻れない。
まだまだ知らない「初」はこの広い日本にはたくさんある。まして世界は「初」だらけだろう。
それに、萩原朔太郎は短編『猫街』で不思議な世界に迷い込んだ。そうしたことを考えると少なくとも「初」は2倍にはなるだろう。
人生というのも「初」の連続である。だから、「初」を大切に「念」を入れて生きていきたい。
小林正観さんが『き・く・あの実践』のなかで書いています。
「念」というのは今のこころ。心を込めて今を生きていきましょう。
では、このへんで
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