Hakuto-日記

定年後を楽しく、生きたい人生を生きる!

俳句の恩師の訃報

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今回は、タイトルの通り訃報に接したので少し気持ちを整理するため、
ブログに書かせてもらいたい。
 
 
 
20年間ご指導をいただいき、お世話になった俳句の恩師が亡くなられた。
これを書いている今現在、ネットで見る限りまだ報道はされていないようだ。
こんなコロナの状況下、身内での密葬となったようである。
 
しかし、こんなことってあるだろうか。
 
お世話になった方とのお別れもできない。
生前、多くの人に俳句の素晴らしさを伝え、それを機に俳句を始めた人がどれだけ多くいることか。
 
それなのにお別れする場がない。
 
 
 
先生は、初心者が作った俳句をけなすことを一切しなかった。
そしてできるだけ作者の気持ちを大切にしてくれた。
とにかく俳句を楽しんでもらいたいと思っていたのだ。
 
まずは俳句を楽しむこと。
そうして俳句を生活の中に取り入れること。
「どうぞ句日記をおつけください」というのが口癖だった。
 
先生は権威とは遠いところに居られた。
なんでも気楽に話をすることができた。
逆に先生の方が謙(へりくだ)っているように感じたものだ。
 
 
だからみんなが俳句のファンになる。
 
そしてその次に先生のファンになる。
 
 
最後に先生にお会いしたのは2年前、自転車日本一周の旅に出る直前にご挨拶に伺った時だ。
 
あのとき、いろいろと心配してくださり、崖から落ちないように気をつけてとか、体温計を持っていけとかいろいろ声をかけてくれた。
 
旅から帰ってくるとコロナの感染が拡大し始めていて、無事に旅を終えたことをご報告することができなかった。
 
 
そしてとうとう報告ができないまま先生は旅立っていかれた。
 
とにかくご冥福を祈るだけである。
 
なお、俳句結社の幹部ではお別れの会を検討しているようだが、コロナの第5波が拡大している最中では難しいものがあり、どうなるかわからない。
 
けれどそれでもお別れの場を作ってほしいと思う。
そうでなければ先生を慕うものたちの気持ちの整理がつかない。
 
すでに密葬されたとのことだが、わたしは個人的に自宅でこっそり通夜を行なった。
 
けれど、先生の亡骸に声をかけられないことは、とても虚しく寂しい。
 
 
今日は個人的な心情の吐露になってしまったが、どうかお許しください。