(出典:Photo AC)
土曜日は句会だった。
前日に慌てて兼題による句を考えたが、どうにも振るわなかった。
しかし、句会には14人も集まり、久しぶりに見る顔もあった。
賑やかな句会場
(出典:Pixabay)
朝、買い物などをしていて家を出るのが遅くなり、会場には少し遅れて到着した。
遅れて着いたせいで、畏れ多くも席は先生の隣、清記の順番では「止め」の位置となる。
句座の真ん中には季節の花が豪華に活けられていて華やかだ。
残念ながらそのほとんどの名がわからない。
いつも、教えてもらってもすぐに忘れてしまうのである。
確実にわかるのは紫陽花くらい。
今回教えてもらって覚えているのはキンシバイとシモツケ。
でもきっとすぐに忘れてしまうと思う。
どうして覚えられないのだろうか。
歴史的仮名遣い
先日、『旧かなを楽しむ』(荻野貞樹著、リヨン社)と言う本を読んだ。
このタイトルの前には「和歌・俳句がもっと面白くなる」と書かれている。
俳句を始めた時、「旧仮名を使うんですよ」と教えられた。
どうして旧仮名なのかはよくわからなかったが、そういうものなのだと思っていた。
それが、この本を読んで理由がよくわかった。
それは、短歌や俳句は三十一文字とか17文字(音)でとても短い。
現代仮名遣いでは、意味が読み取れないことが生じると言うのだ。
たとえば、「眠りいるみ魂戦争を憎みいむ桜花濡れて散る千鳥ヶ淵に」という歌。
「眠りいる」が眠っていると言う意味ならば、旧仮名では「眠りゐる」となる。
しかし、「いる」では「眠り入る」と読む余地が生じてしまうと言う。
旧仮名を使えばこうした複数の解釈が生じないというのである。
旧仮名というのは「歴史的仮名遣い」とか「正仮名遣い」ともいう。これは現代仮名遣いに対比した呼称である。
実は旧仮名の本を読もうと思ったのは、俳句のためではない。
戦後、GHQによって日本語が変えられてしまったと言う話を聞いたからだ。
日本人が二度と戦争を起こさないように、愛国心を持てなくするように教育を変えさせられた。仮名遣いの変更はその一環だったようだ。
それで、一度ちゃんとした本を読んで勉強しようを思った次第である。
そして「俳句がもっと楽しくなる」という文言に誘われて同書を選んだというわけだ。
学生時代に古文をしっかりやらなかったせいで、〇〇活用とかよくわからなかった。
それがこの本を読んで一応仕組みは理解できた。
なるほど、旧かなはすべて「あ〜わ」の行の中だけで活用する。長い時間をかけて洗練された仮名遣いになっていることがよくわかった。
これに対し現代仮名遣いは一部で破綻している。だから、個別に覚える必要がある。
ただし、だからといってそんなに簡単に使いこなせるようにはならない。
でも、使いこなせるようになったら楽しいだろうな、とは思う。
それに読むだけだったらけっこう読める。
さて、少し脱線したように思えただろうか。
実はこの本を読んだせいで、今回作った句はことさら活用に気をつけたということなのである。
旧かなを楽しむ―和歌・俳句がもつと面白くなる 単行本 – 2003/9/1
句会振るわず
こうして今回は動詞や助動詞の活用に気をつけて俳句を作った。
というよりも完全に注意はそちらに向かっていた(言い訳だけど)。
結果は、互選では2回だけしか名乗れなかった。
やっと名乗れた時、小さな声しか出なかった。
かろうじて先生の選に3句入線したのが救いだ。
ちなみに投句は8句なので8分の3である。
活用を意識した句はまったくだめであった。
最後に
最後に、特選にはならなかったけれど自分でも気に入っている句をご披露したい。
水色と緑で描く梅雨に入る
この句は、小学生が描いた梅雨の絵を見たあとに梅雨入りを聞かされたことを詠んだ。
今回はこのへんで
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