車に限らず機械類というものは全てそうだが、全体的に経年劣化したり、すり減ったりしていくものである。
そのため、交換部品の交換時期というものがある。
それが、動力を伝えるものである場合、関連部品を同時に交換しないと不具合が生じる。
たとえば、自転車のスプロケットを交換した場合、チェーンも同時に交換しないと噛み合わせにずれが生じる。逆の場合も同様である。
ただし、チェーンは使っているうちに伸びが生じるので、そのうちに合ってくれたりもするが、それまではしばらくギクシャク感が拭えない。
また、車のタイヤの場合、左右が違っても不具合が生じることもある。
キャンプには行きたいけれど
子どもが産まれて1歳くらいまでは友人とキャンプに行っていたが、2歳くらいになると、家族で行くようになった。
よく行ったのは道志川沿いにあるキャンプ場。
ここにはたくさんのキャンプ場があり、釣りをすることもできる。
設備が整った(整いすぎた)キャンプ場もあり、また、野趣ゆたかなところもあって、さまざまである。
キャンプには行きたいが、ちょっと問題がある。それは家内が車に弱いことである。
キャンプ場は山の中にあり、当然道はくねくねしている。途中で何度となく停車して休憩し、到着する前にふらふら状態で、キャンプ場についたときはもうぐったりして動けない。。
すると、テント、タープの設営、その他モロモロはすべて一人で行わなくてはならず、それでこちらもくたくたになる。
テントの設営が完了すると家内はテントの中で横になる。どうも酔ドメが効いて眠くなるらしいのだ(これでも酔い止めを飲んでいる)。そして外では子供が飛び回っているという状態だ。
車酔いが苦しいことは僕自身もよくわかっている。不思議なもので運転していると酔わない。そういえば、子どもたちも小さいうちは酔わなかった。酔うようになったのはいつからだろうか。小学校にあがる頃だっただろうか。
テントはドーム型で大人が4,5人横になれる広さのものだった。ドーム型なので一人でも張れないことはない。けれどタープを張るのには苦労した。それにはじめの頃はブルーシートをタープにしていたので、雨が降ると水が溜まりやすく、なかなかうまく張ることができなかった。
料理はたいてい炭を熾してバーベキューだったのでこれも自分の仕事である。けれど、火を熾すことは楽しい。ただ、後かたづけが面倒であることが欠点ではある。
こんなキャンプを年に2,3回行って、デイキャンプにはちょこちょこ出かけていた。
キャンプに行く途中でエンスト
長男が4歳くらいで、次男が2歳くらいのとき、職場の新人を誘ってキャンプに行った。場所は行き慣れた道志である。
その新人くんは釣りはするのだがキャンプは初めて。新人くんの車を我が家の遠い駐車場の車と入れ替えて、我が家のランサーに荷物を詰め込んで出発した。
自宅を出発して隣の街に差し掛かり、裏道から表通りに出て交差点を右折しようと減速したとき、突然エンジンがヒューンといって停止した。そこで、右折するのをやめて、慣性で動くまま直進して安全な場所に停止した。
イグニッションキーを回してエンジンを始動させようとするがかからない。さて、困った。
たしかあの時の対応は、まず、電話ボックスを探す。そしてそこにある電話帳で修理工場の載っているところを探す。その中で一番近い修理工場を見つける。
そして、その修理工場に電話する、というような対応だったと思う。
幸いすぐ近くに修理工場があり、目印を告げて待っているとすぐに修理屋の車が現れた。そこで牽引してもらい、歩いて5分くらいのところまで引っ張ってもらった(牽引は2度目なので慣れたもの)。
原因がわからないので預けて診てもらうことになった。
「車が壊れちゃったから今日はキャンプに行けないよ」と子供たちに言うと、
「えー、行きたい!」との声があがる。
それを聞いていた修理工場の親父さんが、
「かわいそうだから、代車を貸してやるよ」といってくれた。
そうして貸してくれたのはライトバンだったので、普通乗用車に比べて荷物がたくさん乗せられる。だから、なんなく荷物を移動することができたのだった。
そうして走り出したのだが、なんだかおかしい。なぜか片側に寄って行ってしまうのである。つまり真っ直ぐ走らない。
なんとか修正しながらも、そのうちに慣れて、キャンプ場まで走ることができた。車から降りてタイヤを見てみると、1本だけタイヤ幅が細い。それにタイヤの溝もほぼなくてツルツル状態だった。これが真っ直ぐ走らない原因だった。
けれど、代車のおかげでキャンプに行くことができたので感謝しなければならない。新人くんも初めてのキャンプを楽しんでくれた(と思う)。
無事、キャンプから自宅まで帰り、1週間後、再び修理工場に向かう。
電話では、タイミングベルトが切れていたとのことで、交換してもらった。
なお、タイミングベルトの交換時期の目安は、10年10万キロと言われているが、このときは、9年目か10年目。ただし、走行距離は7万キロ台だった。
友人から譲り受けた車であるが、修理代にはだいぶお金を使った。これまで3台の中古車に乗ってきたが、次は「新車が欲しい」、そう強く思うのであった。
最後に
新人くんは釣り全般が得意だったが、とくにバス釣りがうまかった。大会などにもエントリーして好成績を残していた。
その後、10年ほどして僕がフライフィッシングがやりたいと言い出した時、かれが師匠となっていろいろと手ほどきしてくれた。
その後彼は船に乗っての海釣りに転向し、釣り人生を楽しんでいた。そんな彼も結婚して子供ができると釣りからは遠ざかってしまった。これはだれもがたどる宿命なのだった。
タイミングベルトを交換したランサーは絶好調、と言いたいところだが、アイドリング中の振動が大きくなり、ガラスがカタカタ震える音もして、すっかり乗り心地が悪くなり、車に乗る気もうせてしまった。
そんなこともあって、次の車に。
では、このへんで
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