バイクに乗るようになると車にはあまり乗らなくなる。
そこで、加速の悪いミニカは友人に譲ってしまった。
バイクは加速がいいので気持ちがいい。
北海道には2年続けてツーリングに出かけた。
そうして少しの間、車のない生活を送っていたが・・・
三菱ランサーEX ターボ
ひとりの時はバイクがいいが、結婚し子供ができるとやっぱり車が欲しい。
そんな時、職場の仲の良い友人が、車を買い替えるので、今乗っている車を譲ってくれるという。
ぜひぜひお願いします、ということで新車が納車される日に友人の自宅までいった。
そこから友人の運転でディーラーまで行き、友人は新車を、僕は友人のそれまで乗っていた車を受け取り、それぞれ自宅まで乗って帰った。
ただ、友人の話では、信号待ちをしていると、たまにエンストすることがあるということだった。
譲り受けた車は、三菱ランサーEX ターボという、どちらかというと走り屋さんの車。このころ三菱は、WRCというラリーに出場していて良い成績を残していたが、そのベース車両になっている車だった。
たしかに運転していて楽しい車ではあったが、家族を乗せて走るにはオーバースペックではある。
さて、車を保有するとなると保管場所が必要になる。その頃住んでいた団地の駐車場に申し込みはしたが、空きが出ないと次の番にならないし、順番待ちをしている人も多かったので、しばらく順番は回ってきそうもなかった。
そこでとりあえず、近くの駐車場を探すことにする。
すると父が、行きつけの飲み屋で空いている駐車場をみつけてきてくれた。ところがこれが遠くて、自転車で駐車場まで通うはめになる。
車はしばらくは問題がなかったが、友人が言うように信号待ちをしているときエンストした。
修理屋に持っていって点検してもらうが原因がわからない。ただ、マフラーに穴が空いていることが判明したのでマフラーを交換した。痛い出費だった。
山中湖でテニス合宿
[/hiroyuki0607によるPixabayからの画像]
長男が1歳の時、その車で山中湖のテニス合宿に連れて行った。
テニスは中学の頃に始めた。もちろん軟式である。高校は男子のテニス部がなかったので、クラスメイトを誘って2人で男子テニス部を作った。ただ、練習は女子と一緒である。結局、試合には一度も出場しなかった。
就職すると職場サークルに軟式テニス部があったので、早速入部する。昼休みにコートの抽選に行き、よく四谷のコートで練習した。また、毎年8月には合宿を行っていた。
合宿はたいてい山中湖で、その年も同じだった。そこにやっと歩き始めたばかりの息子を連れて行ったのである。
チャイルドシートを助手席に置き、長男をそこに座らせてしっかり固定した。
そうやって相模原の自宅を出発し、八王子から中央高速に乗る。
談合坂付近だったと思うが、走っているときに突然エンジンが停止したのである。そのまま惰性で路側帯に車を寄せた。
エンジンを掛けようとクラッチを踏むと、クラッチがスカスカになっている。キーを回してもエンジンは掛からない。
さて、どうしようか。路側帯に泊まっていると追突されることがあると聞いたことがある。
そこで、まずはハザードランプを点滅させる。そして後ろのトランクを開け、三角反射板を取り出して組み立て、後方走っていって道路に置いた。トランクは開けたままにしておいた。
次に連絡しなくてはならない。もちろんその頃は携帯電話などない。近くに非常用電話までの距離が書かれている標識があった。たしか前方10mくらいのところにあったと思う。
その非常用電話で救援を呼び、車に戻って運転席に座り、救援が来るのを待っていた。
しばらくするとJAFがやってきた。
隊員はJAFの車とこちらの車を牽引ロープで繋ぎ、
「牽引していくので運転席に座ってハザードランプと点滅してください」と言った。
ハザードランプを点滅させたまま、ハンドルを握り引っ張られていく。前の車のスピードが落ちたら軽くブレーキを踏んでロープが弛まないように気をつける。
そうやって大月インターまで行き、そこで高速を降りる。そしてすぐ近くの修理工場まで引っ張ってくれた。
隊員が牽引ロープを外して、JAF会員かどうかを訊いてくる。会員ではないと答えると、「会員になりますか」という。また、同じようなことが起きたらかなわない。「はい、入会します」と答える。
ただし、入会しても今回は対象にはならないと言われた。そして、牽引した距離による作業料を支払った。
なお、JAFに入会して44年、以後一度もお世話になったことがない。
クラッチオイルが無くなってる
連れて行ってもらった修理工場で、「クラッチがスカスカなんですけど」といって調べてもらうと、なんとクラッチオイルが全く無くなっているというのだ。
そんなことってあるのか、聞いたことがない。修理工に聞けば滅多にないという。すぐには修理できないので、とりあえずクラッチオイルを入れておいたということだった。
不安ながらも車のエンジンはかかったので、大月からは下みちで山中湖まで向かう。なんとか合宿先の民宿まではたどり着いた。
まあ、慌てても仕方ないのでテニスの合宿メニューをこなす。自分の練習中はだれかが息子の面倒を見てくれた。
合宿が終わり、車のエンジンを恐る恐るかけてみると、問題なく掛かり、ほっとする。
高速は不安なので、帰りは道志みちを通ることにした。
道志みちは今回のオリピックで自転車ロードレースのコースになっている道だ。丹沢の北側の谷間に流れる道志川に沿っていて、カーブが多い。
そのころは、いまのように全て舗装されておらず、また、山裾に沿ってくねっているところを橋で直線に結んだりしていなかったので、なおさらカーブが多い道だった。
意外に車はちゃんと走るので、エンジンが止まったことなど忘れて運転を楽しんだ。
助手席を見れば、息子はぐっすり眠っていたので、その後、車に酔いやすくなったのはまさかそのせいではあるまい。
その後、クラッチオイルの液漏れは、自宅近くの修理工場でちゃんと修理してもらった。
最後に
三菱自動車はその後何度もリコール隠しを行った。ひょっとしてあのランサーもそうだったのではないかと疑っている。
三菱の車は性能のわりに値段が安かった。だから欠陥自動車が多かったのではないかとさえ思ってしまう。
それにしても、高速道で救援を待っているとき、後ろから追突されはしまいかとひやひやしていた。貴重な経験といえばそうだが、それもこれも事故にならなかったから言えることだ。
しかしこのランサー、まだまだやってくれるのである。
では、このへんで
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