2ヶ月前に野尻湖で習ったカヌー。
そのときと同じサンデープランニング アウトドアスクール が秋の川下りを企画した。
それは長瀞川下りツアーである。
開催されたのは秋が深まる10月半ば。
ここで2日間、ホワイトウォーターに挑戦した。
長瀞は思いのほか山の中だった。
秋の川下りツアーに参加
86年10月半ばの土日、2日間の長瀞川下りツアーに参加した。
長瀞は荒川の上流域で、観光のための川下り「長瀞ライン下り」があって、急流を船で下るスリルを味わえる場所である。
長瀞ライン下りは、大正の頃にはすでに観光用として行われていたらしい。
「長瀞」というのは名が示すとおり、長いトロ場があるため「長瀞」と呼ばれるようになったと思われるが、その上流には瀬があったり岩壁に挟まれた急流があったりする。
2か月前にカヌー教室で習ったばかりで、完全な初心ではあるけれど、カヌーをレンタルできて、指導してもらえるというツアーに、勇気を奮い起こして参加した。
2日間の教室だったことは覚えているが、忘れてしまったことも多いので、多少記憶違いがあるかもしれない。
それに、記録を残しておらず、手帳の予定表にメモが残っているだけだった。
それによると、17日〜19日にカヌーとだけ書いてある。ただ、前日に泊まった記憶が残っていないので、たぶん18日に早起きしてバイクで行ったのだと思う。Googleマップで調べると、当時住んでいた相模原からだと3時間くらいかかったようだ(当然した道で)。
バイクで走った時の記憶はかすかに残っている。八王子の先を左に曲がるとそこから森の中に入っていき、延々と山道が続いていた。空気がヒンヤリしていたことを覚えている。
集合は、長瀞のキャンプ場だった。
受付を済ませるとテントの中で着替えを行う。テントはモンベル・ムーンライトの4〜5人用だった。
着替えるといってもカヌー用のウェアは持っていない。ジャージにスニーカー、そしてセーターを着た。
初めはカヌーに馴染むところからで、トロ場は初心者練習にはちょうど良い。見れば10人前後の仲間がいた。
岩場の上では子供たちがこちらを見下ろしている。
昼になって岸に上がると、カヌーに浸水していた。このときは、コックピットを覆うスプレースカートの間から水が入ったのだとばかり思っていたが、そうではないことが後からわかる。
沈する
午後は急流を乗り切る練習があった。そこは急流が右の岸壁に当たって水の中まで白く濁っていた。
ここでは、コーチの指導も真剣である。下手をすると岸壁に激突しかねないからだ。
コーチは、
「しっかり漕いで。水の流れよりも早く漕いで進むこと」と繰り返し伝えていた。
そうすれば、艇をコントロールしていくことができるというわけだ。
ここは一人ひとり順番に急流に突っ込んでいく。
僕の番だ。目の前に黒い岩壁がどんどん迫ってくる。必死でパドルを掻く。力いっぱい右側を掻くとギリギリのところで脱出できた。
壁に当たった流れと真っ直ぐな川の流れとがぶつかっているあたりに来たとき、左舷から水が乗り越える感じで左に回転した。沈である。
ここでロングロール、なんてことは全く考えずに両手でコックピットの縁を押して脱出。ライフジャケットの浮力を頼りに、舳先のロープを掴んで少しずつ岸に向かって泳ぐ。
カヤックは、たとえ沈しても艇の中に空気が残っているので浮いていてくれる。ようやく岸につくと、艇を伏せたままシーソーのようにして中の水を出してやる。
このとき、カヌーを調べてみた。すると、ひび割れが見つかる。やはりそうだ。どうやら水が中に入って艇が不安定になったっことが沈の原因だったのだ。
その後、トロ場に着くまでにもう一度沈をしてしまう。さっきの沈により体力が奪われていて、2回目はどうでもいいようなところで簡単にひっくり返ってしまった。
秋の水はすでに冷たく、相当に体力が奪われていた。
バクダン
水から上がるとすぐに着替えた。それからコーチらの車で夕食の買い出しに行く。
「何を作るのですか」と聞くと
「バクダンだよ」という答えが返ってきた。
「???」というような顔をしていたら、笑っていた。
キャンプ場に戻ると、火を起こして焚き火をし、大きな鍋をかける。どうやら今夜は鍋のようである。
鍋に水と煮干しをたくさん入れた。そこに色々な具材を入れ、最後に鷹の爪を切らずに丸ごと入れた。それもかなりの量である。
どうやらこれがバクダンということらしい。顔から火を噴くような鍋。つまり爆弾のような鍋ということだと理解した。
この時に出汁として入れた煮干しが唐辛子の辛さとマッチして生臭さが消え、最高の酒の肴になった。
こうしてカヌー&キャンプの楽しい1日が暮れていき、各々のテントに引き上げた。
ところが、10月の長瀞の夜は思ったより冷えこむ。
持っていった夏用シュラフ(一応スリーシーズン用)と半身マットでは寒くて仕方がない。特に明け方の寒さに眠ることができず、ひたすら寒さに震えていた。
長瀞川下り
翌日は、上流に遡っていき、再びそこを下る予定だということである。
カヌーについては、昨日使ったものがヒビがはいっていて水が入るといったら、予備のカヌーに変えてくれた。
そのおかげでフラつくこともなく、川下りに参加することができた。
川を下るのも遡るのも狭い川では一列になってコーチの後を進んでいく。コーチは流れを読んで、初心者が通りやすいルートを選んでくれるのだ。
そして難しい場所ではちゃんとアドバイスをくれる。
ただ、人数が大勢だと、間隔をあけて一人ずつ進んでいくので時間がかかる。それに2日目は午前中までとなっていたので、川下りは1度きりだった。
けれど、自分一人では尻込みしそうなところも、コーチらの指導があれば進んでいける。急流や瀬を越えるたびにやり遂げた満足感が溢れてくる。
こうして、2日目は沈することもなく、充実した川下りを楽しむことができた。
まとめ
今、長瀞の流れを見たらきっと『あんな流れの早いところを下るなんて無理』と思ってしまうだろう。
けれど、段階を経て徐々にレベルを上げていけばそれができるようになるのである。
「同じ人間なのだから出来ないわけがない」ということをよく聞くが、心の奥底では『あの人は特別だからできるんだ』と思ってしまう。
今すごいと思うことをやっている人だって、初めからすごいことができたわけじゃない。たゆまぬ努力や練習を長い間重ねてきた結果、すごいことができるようになったのだ。
ただ、最後の最後は個人差によりどこまで極めることができるのかが違ってくる。つまり、ある一定のレベルにまでは誰でも達成できるということであり、その先は持って生まれたもので違ってくる。
この個人差は、一定のレベルに達するまでの期間の違いも生み出す。
ところがこの個人差、言い換えると「才能」も、やってみるまで誰にもわからない。
だから、そんなことを考えるよりまずはやってみることが大切だと思う。
まずはやってみて、それが楽しいと感じるかどうかが重要だ。一度きりの人生。楽しく生きなければもったいない。
頂点を目指すというのは、楽しさの延長線上にあるものであろう。
ところで川下りは楽しかったが、あまり手軽に楽しむというわけにはいかなかった。この後もう1回だけカヌーに乗ったきりとなってしまった。
カヌーを所有するには保管する場所がなくてはならないということがネックとなった。
楽しくてもさまざまな障害はあるものなのである。
最後までお読みいただきありがとうございました。
では、このへんで
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