Hakuto-日記

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変なおじさんと遭難者救助 【大山登山】

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大山山頂 (ネガをアプリで反転、以下全て同じ)

 

先日、立山の雄山に登った時に小学生が登る山であると書いた。

あわせて神奈川県では大山に登る小学校があることも述べた。

その大山にこれまで十数回登って来た。

今回は、その中でも特に思い出に残っている登山について書いてみたいと思う。

ちょっぴり教訓も含んでいるのお役にたったら幸いです。

 

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こんなに晴れた日はめずらしい

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大山中腹からの富士

 

1984年1月29日、大山に登った。

 

大山は神奈川県の中央に位置する標高1,252メートルの山で、別名を「雨降山」という。山腹には「阿夫利神社」があり、山頂には奥の院がある。阿夫利神社の「あふり」とは「あめふり」がなまったものといわれている。

 

雨降りと呼ばれるのは、丹沢山塊の南側に位置しているため、相模湾からの風をまともに受けて雨がよく降るためである。

 

古くから修験道の山として登られており、落語の「大山詣り」としても知られている。

 

この年、1月の中頃に雪が降って、山頂付近はまだ白く雪が残っているのが下から見ることができた。

 

この日朝寝坊して小田急線の秦野駅に着いたのは10時10分だった。ここから蓑毛行きのバスに乗る。夏ダイヤであれば蓑毛の先のヤビツ峠まで行っているが、冬場は蓑毛どまりとなる。

 

現在ヤビツ峠は自転車のメッカととなって多くのヒルクライマーたちが上り下りしているが、当時は滅多に見かけず、そんなところを自転車で登る奴は変わり者と思われるような時代だった。

 

蓑毛で軽く準備体操をして、10時50分にまずはヤビツ峠目指して歩き始める。

 

途中、景色のいい場所が何箇所かある。それは突然目の前にあらわれる。そのとき僕はハッとして立ち止まってしまった。すべて見えるのだ。海も島も街も川も半島もすべてが見渡せる。

 

こんなに素晴らしく見渡せたのは初めてだ。

 

ヤビツ峠に着いたのはちょうど12時だった。ヤビツ峠から大山に登る。途中で昼食をとって休憩し、大山山頂に着いたのはちょうど午後2時だった。

 

この時間でもまだずっと晴天が続いて、山頂からの眺めはさらに素晴らしかった。

 

手前に大磯、二宮あたりの小高い丘があり、その右に弓なりの海岸線が続き、盲腸のようにひょろっと伸びた真鶴半島、半島の先端から少し沖合に小さな初島。真鶴半島の向こうには伊豆半島の山々が青く連なって見える。

 

沖を見れば、ほぼ真南に船が黒い影となっている。その先にはどっしりと横たわる大島が、台地の緑と三原山の岩肌との境がくっきりと段になって見えている。

 

大島の右には利島(としま)と新島(にいじま)が重なり合い、さらに等間隔で神津島(こうづしま)がみえた。

 

こうした素晴らしい景色をたっぷり山頂で味わうことができた。

 

変なおじさんと遭難者救助

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大島が見える(よく目を凝らしてください)

蓑毛からヤビツ峠に向かう途中で、変なおじさんと一緒になった。帽子に山小屋のバッヂをたくさんつけている。おしゃべりでは無いのだが、落ち着いた話し方でいろいろと聞いてくる。

 

正直面倒くさいなと思ったが、無視することははばかられたので適当に話を合わせていた。しかしどうしたわけか予定のコースが同じであり、結局行動を共にすることになった。

 

大山山頂からは、あまり人が通らない厚木の不動尻から広沢寺温泉に下るコースを進んだ。

 

午後4時、不動尻に降りてきた。すると大山三峰の方から下山してきたパーティ(女性3人、女児3人)と一緒になる。

 

「すいません、崖から落ちたものがいまして、連絡する方法はないですか」と聞かれ、一気に緊張がみなぎる。

 

当時携帯電話などなく、無線ももっていなかった。

「この下の広沢寺まで行けば電話が借りられると思います」と答える。

 

僕とその変なおじさんとふたりで少し先を行き、広沢寺温泉の少し手前にある民家の戸を叩いて事情を話しているときに後ろのパーティが追いついた。そこで電話を借りて通報した。はっきりとした時間は記録していないが、だいたい4時50分くらいだと思われる。

 

通報後、僕とおじさんの二人でふたたび不動尻まで登り返す。その途中で消防団と救急車に追い抜かれる。その頃にはすでに真っ暗になっていた。

 

すると不動尻よりだいぶ手前で救急車が止まっている。どうやら自力で下山してきたらしい。そこで事情を聞いていると、こういうことだった。

 

3時頃、48歳の女性が大山三峰の稜線から西側に滑落。同パーティーのうち男性2名と女性1名が救助。そこに他パーティ4名が加わり4時頃無事救出。

 

その女性は頭部に軽い怪我をして多少出血していたが、気はしっかりとして自分で歩くとこができた。

 

すると例の変なおじさんが救急隊員に「わたしは医者なのですが、なにか手伝うことはありますか」と言った。

 

救急隊員はケガ人がしっかりしていたので、たぶん今のところは特に無いというようなことを言ったと思う。

 

それよりも、ずっと変なおじさんだと思っていたひとが医者だと聞いてこちらが驚いてしまった。

 

二人で歩いて下っている時におじさんは名刺をくれた。東京の大きな病院の勤務医だった。

 

怪我した女性は夜勤明けで登山に来ていたということで、どうやら眠気により注意力が散漫になっていて、狭い尾根で道を踏み外して滑落したらしい。

 

こうして午後6時、無事に救急車に収容された。

 

メモによれば、そのあと車で厚木警察署に行ったとあるのだが、誰の車でなぜ警察署に行ったのかは思い出せない。広沢寺からのバスが終わっていたので警察が送ってくれたのかもしれない。

 

夕食を食べることも忘れ、本厚木の駅に着いたときは午後8時を回っていた。

 

まとめ

翌日、新聞(たぶん神奈川新聞)に記事が出た。なんと200メートルも滑落していたらしい。それで軽い怪我だけで済んだのはほんとうに幸運だった。

 

ここで、当時の1984年(昭和59年)1月30日 月曜日付の新聞記事を読んでみると

200メートル滑落、セーフ 神奈川山中 雪がクッションに

神奈川県愛甲郡清川村煤ヶ谷の三峰山(934.6メートル)南峰付近で、29日午後3時ごろ、ハイキング中の千葉県船橋市〇〇町●丁目、電話局職員佐藤〇子さん(48)がコースから足を踏み外して、約2百メートル下の沢にころげ落ちた。しかし、仲間や近くにいたパーティーが協力して、間もなく佐藤さんを無事救出した。佐藤さんは厚木市内の病院に運ばれたが、奇跡的に頭に軽いけがをしただけで、自分で歩けるほど元気だった。

神奈川県厚木署の調べによると、佐藤さんはこの日、職場のハイキングクラブ一行十五人で日帰りの山歩きをしていた。無事だったのは、斜面に30センチほど積もっていた雪が、クッションの役目をしたためらしい。

と書かれている。

 

ここではじめに述べた教訓についていうと、それは「登山では睡眠不足は事故のもと」ということである。

 

以前触れたトムラウシの遭難事故で助かった人が生死を分けた理由を「しっかり睡眠をとっていたこと」だったと分析している。

 

さて、変なお医者さんとは厚木警察署で別れたと思うが、その後も連絡を取らずじまいで37年経ってしまった。

 

まあおそらくもうあの世に旅立っていることだろう。

 

このとき滑落した方は女性なので、まだお元気でいることと思いたい。

 

それにしてもスリリングな体験で、のんびりした朝から緊張の夜まで長い1日であった。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

では、このへんで

 

トムラウシについてふれた記事はこちら。 

challe.info

 

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