森元首相が五輪組織委員会会長の職を辞任しました。
広く知られているように女性蔑視発言がその原因ですが、これまでの言説(失言)からこのような考えを持っていたことは想像できました。
このような人が五輪組織委員会会長を務めていたのはなぜなのでしょうか。
そして、今になってなぜ、会長を辞任させようとする力が働いたのでしょうか。
老害
令和3年2月12日、森元首相が五輪組織委員会会長を「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」といった女性蔑視と受け取れる発言により辞任しました。
「女性が話が長いとは何事だ」「女性を一括りにするな。男だって話の長い奴はいる」。確かに女性蔑視の考え方が表に現れている言葉だと思います。
この発言が発端とはいえ、それだけではなく、世界中で新型コロナの感染が広がっている最中、無理をして五輪を開催しなくてもよいのではないかという世論(それってワイドショーのこと?)や五輪を開催して日本にさらなる感染拡大が起こるのではないかという人々の不安があるのも事実です。
そこに「(コロナがどんな状況でも)五輪はどんなことがあってもやります」といった森氏の強硬な態度に世論(マスコミ)が、自ら辞任するよう仕向けたようにも感じます。
そうだとすると、五輪が中止となるように働きかけているようにも受け取れます。
しかし、森氏の立場からすれば、延期することがどれだけ大変でまた多額の費用がかかるのかといったこと以外に、菅首相が五輪を開催するといっている以上、五輪組織委員会の会長が開催を見合わせるべきだとはいえないでしょう。それは当然のことです。
そして森会長自らの謝罪発言の中で「老害」という言葉が使われました。
おそらく身近な人からこの言葉が聞かれたのでしょう。
その言葉に反応してマスコミがこの「老害」という言葉を喜んで使っています。
これは、森氏が公人として不適切な発言をしたのと同様にマスコミが使う言葉としても問題があります。
なぜなら、老人がみな害があるかのような差別的な表現だからです。
それを面白おかしく「老害」という言葉を繰り返し使っているマスコミは問題であると考えます。
現在の老人が育ってきた環境と今の世の中の環境とは明らかに違い、当然価値観や考え方には違いがあります。違って当然なわけです。
そして森氏はまったく女性蔑視とは感じていないわけです。 だから変わりようがありません。
おそらく、多くの高齢者は森氏の感覚にに近い方が多いと思われます。昔はそれが世の中の考え方だったのです。
だから、いいおじいちゃんとか言われる人は自分の考え方を押し付けずに一歩下がっていて、森氏のようになんでも思ったことをずけずけと言う人は、多くの敵を持ち、また逆に多くのファンがいたりします。
ですから、個人的であれば「老害」と思ったりその言葉を使うのことは仕方がないことだと思います。
そして私自身も「老害」じゃないかと感じることはあります。
例えば、先日の日曜日に自転車の練習でスポーツ広場ということろに行ったとき、そこにあるテニス場で小学生が軟式テニスの練習をしていました。
私自身も中学・高校と軟式テニスをしていたことがあるので、ちびっ子のプレーを微笑ましく眺めていました。すると向こうの方で70代と思われる方がボレーの球出しをしていました。
「年をとってもプレーができるなんてすごいな」
そう思って近づいて行くと、その小さな子どもに向かって一回球を出すごとに叱りつけているのです。
「ほらっ、何やってる」「ちゃんとしろ」「だめだめ」などと言っています。
幸いにも自分はこんなふうに叱られながら指導を受けたことがないので驚きました。
そんな声を聞いているのも嫌ですぐに立ち去りましたが、あの子どもたちが将来こんな教え方を引き継がなければ良いなと思いました。
これも老害の一つなのかもしれません。
森氏が会長に就任した経緯
そもそも五輪組織委員会会長に森氏が就任した経緯はどうだったのでしょう。
産経ニュースのサイトに2014年1月14日付で「森氏が組織委員会会長に就任 正式に受諾」という見出しで記事が出ていました。
それによると、当時五輪担当相だった下村博文氏とやはり当時日本オリンピック委員会(JOC)会長の竹田恒和氏、同じく当時東京都副知事の秋山俊行氏が3者会談を行い、森元総理に要請することを決めてこれを森氏が承諾したものとあります。
下村氏の説明は「経済界の方や、国内外のスポーツ関係の方とネットワークを持っておられる。最終的に森元総理が適任ではないかということで3者で合意した」というものだったそうです。
つまり、森氏の幅広い人脈を活用してもらおうという趣旨だったようで、森氏の古い考え方が問題になるとは考えなかったようです。
そしてこの日、森氏が要請を受けるにあたり、都内で講演を行ったときに「私なりに協力する。ことし77歳だ。うまくいってあと5、6年しか生きられない運命。最後のご奉公だ」と話したということです。
森氏にしても77歳で大役を引き受けるにあたり、相当の覚悟があったものと思われます。
日本航空(JAL)が2010年1月に経営破綻した時、政府からの強い要請により、2月に稲盛和夫氏が経営再建に登板したのが78歳。昭和の初めに生まれた方のパワーは並外れている気がします。
会長の辞任には
五輪組織委員会は、森会長が決定した後の1月22日に発足しています。
組織委員会の定款では、会長を解職するには理事会の決議が必要とあります(第31条)。
理事会は3〜35名で構成され(第23条第1項第1号)、理事のうち1名が会長となります(第23条第2項)。
理事会の決議については、利害関係者(森氏)を除いた理事会の過半数以上で決議されるとあります(第34条)。
また、会長は理事でもあるわけで、理事は評議員会の決議で選任及び解任するとあります(第16条第1項第1号)。
ようするに、森会長を解任しようとしたら、理事会で過半数、あるいは評議員会で過半数の賛成票が必要となるわけですが、評議員会の方には解任の理由として第28条に「(1) 職務上の義務に違反し、又は職務を怠ったとき。 (2) 心身の故障のため、職務の執行に支障があり、又はこれに堪えないとき。」という規定があり、こちらには該当しそうにありません。
ということは、森氏を除いた理事会で過半数の賛成票をとるか、森氏本人が辞任を申し出るしかないという状況だったというわけです。
なお、理事の選任については評議員会の決議において、会長の選定にあたっては理事会の決議によるものとされています(第24条第1項及び2項)。
組織委員会定款(抜粋)
(権限)
第31条 理事会は、本定款に定めるもののほか、次の職務を行う。
(3) 会長、副会長、専務理事及び常務理事の選定及び解職
(役員及び会計監査人の設置)
第23条 当法人に、次の役員を置く。
(1) 理事3名以上35名以内
2 理事のうち1名を会長とし、会長以外の理事の中から副会長、専務理事、常務理事を置く。(決議)
第34条 理事会の決議は、決議について特別の利害関係を有する理事を除く理事の過半数が 出席し、その過半数をもって行う。
(役員及び会計監査人の解任)
第28条 理事又は監事が次の各号の一に該当するときは、評議員会の決議によって解任する ことができる。
(1) 職務上の義務に違反し、又は職務を怠ったとき。
(2) 心身の故障のため、職務の執行に支障があり、又はこれに堪えないとき。
(権限)
第16条 評議員会は、次の事項について決議する。
(1) 理事、監事及び会計監査人の選任及び解任(役員及び会計監査人の選任)
第24条 理事、監事及び会計監査人は、評議員会の決議によって選任する。
2 会長、副会長、専務理事及び常務理事は、理事会の決議によって選定する。
立場をわきまえない失言の数々
それにしても森氏の発言は公人としてはふさわしくありません。
過去の不適切な発言をいくつか挙げてみます。
・教育勅語についての失言
「教育勅語は悪いこともいいところもあった」
日本は天皇中心の神の国だというのは問題。天皇中心というのは建前としてその通りだが、神の国の名の下に戦争をしたことをたたえているように受け取れる。
ただし、教育勅語をよく読んでみると、いいことがたくさん書かれているように思う。父母に孝行とか夫婦睦まじくなどと具体的かつ簡潔に書かれていて、単に道徳を守ろうというだけの教育基本法よりもずっといい。逆に教育基本法に基づく道徳の目標は多すぎてどれも記憶に残らない。
・ソチ五輪で、浅田真央が転倒してしまったことについての失言
「見事にひっくり返った。あの子、大事な時に必ず転ぶ」
真央ちゃんの気持ちを考えない思いやりのない言葉。
ただ、「大事な場面で転ばないで」というふうに思った方はたぶん、たくさんいたのではないかと思います。
それだけ期待が大きかったのです。みんな真央ちゃんに4年前の雪辱を遂げて欲しかったのです。
ショートプログラムの転倒による落胆は本当に大きなものでした。
ですから、心情はわかるにしても「あそこで転ぶとはプレッシャーが大きかったんでしょうね、残念です」などと真央ちゃんの気持ちも察してあげられると良かったのにと思う。
それにも増してフリーでの演技は素晴らしかった!
・少子化問題の検討会での失言
「子供を作らず自由を謳歌した女性を税金で面倒をみなさいというのはおかしい」
まったくレベルが低い。子供を作らないのは女性のせいと言わんばかり。少子化の原因は社会的、経済的な要因が大きいのに。弁明の余地なし。
・聖火リレーについての物議を醸し出す発言
「有名人は田んぼを走ったらいい」
これも観客が密にならないようにすればいいということを言いたかったのだと思いますが、言い方ってものがあります。有名人だって感情がありますよ。
五輪開催の是非
そもそもオリンピックは競技者のためのものだったはずです。
それがだんだんと商業主義になり、華美で演出が過大になっていきています。
今回の日本開催はもう中止になることが決まっているというような話も聞こえてきます。
本当にそうなのかもしれませんが、今回の新型コロナをきっかけにして、もう一度原点に帰り、質素な五輪を開催したらいいのではないかと私は考えます。
無観客だって構いません。同じアスリート同士やスタッフが応援し合えばいいのじゃないでしょうか。テレビで中継してくれたらいうことはありません。
もともと競技者が競い合いながら友好を深めるものが五輪だと思います。
五輪憲章にも「友情、連帯そしてフェ アプレーの精神に基づく相互理解が求められる」とあります。
もともと参加者のためのものですよね。
もちろん、世界が新型コロナの感染で選手団を送ることができななら中止はやむを得ないとは思います。
けれど、今回のことがもう一度五輪の原点に立ち戻るきっかけとなればいいなあと思います。
まとめ
最後までお読みいただきありがとうございます。
もう一度まとめてみます。
「老害」という言葉は差別的な言葉だからマスコミが面白おかしく使うことはよくない。
それに、若い頃に築いた人生観が今の考え方になっていて、人はそんなに簡単に時代に合わせて変わることはできない。
だから世代によって考え方が異なるのが当たり前であるが、公人の場合はその発言に注意を払うべきである。
ということになるかと思います。
今回の辞任騒ぎについては、そもそも森氏に五輪組織委員会の会長を要請したこと自体に問題があったということだと思います。
森氏のほうもこれまでの発言を承知で要請されたはずなのだから、いまさらそれを言われてもというところでしょう。とりあえず森さん、お疲れ様でした。
後任選びでもいろいろ問題があるようですが、年齢とか性別とかを問題にしているようでは組織の体質が変わらないということですね。そんなことは関係なくて、適任者は誰か、ということが重要なんです。
では、このへんで
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