Hakuto-日記

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日本国憲法はアメリカ人により作られた?! 【GHQ検閲官を読んで】

 

戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって、放送、新聞、雑誌、書籍、映画、演劇、紙芝居等々、メディアの検閲が行われた。

このことは多くの人に知られるようになってきた。

ところが検閲はメディアばかりではなく、郵便、電信、電話という一般人に対しての検閲も行われていたという。

そのことを書いたものが『GHQ検閲官』(甲斐弦著、経営科学出版社)である。

著者は、蒙古政府官吏のときに応召し、昭和21年5月に復員。同年10月から12月までの約2ヶ月間、民間検閲局(CCD)の第3地区(福岡)で検閲係兼翻訳係に従事した。

 

生きていくために

本書は著者自身の日記をもとにしたノンフィクションである。

通読しての感想は、戦後の食糧難がほんとうに大変だったこと、だから、みな生きるために必死であったことが具体的で生々しく綴られていて、頭ではなく肌感覚ですうーっと染み入ってくる感じがしたということ。

 

そして、アメリカ人によって日本人がまるで奴隷のような待遇で働かされていたことを知り、こうした仕組みにいつのまにかアメリカ人が上、日本人が下の人間というような、いつしか日本人全体がそう思わされてきたように感じた。

 

ところが、著者のような教養のある日本人が、あまり教養のないアメリカ人の下で働いていたという事実を知ることで、これまで感じていた「アメリカは凄い国だ」という(数年前までは本当にそう思っていた)漠然と感じていたこと、実は幻想であったことを改めて感じ取ることができた。

 

日本を統治していたのは日本のことをよく知らないアメリカ人ばかりだったという可能性が高い。

 

ただ、戦争に負けただけで(それもアメリカの国際法を無視した虐殺によって)卑屈になる必要なんてない。

 

また、著者は一般大衆というものが強いものに迎合するという本質についても、鋭い観察によって述べられていることが心に残った。

 

それはこんな文章である。

 十二月八日、忘れ難い大東亜戦争開戦の日である。内蒙古の厚和で開戦の報に接した時の衝撃。七分の喜びに三分の不安を交えたあの日の複雑な感情。真珠湾の戦果が判明するにつれて、漢人も蒙古人も回教徒も歓喜に沸き立ち、我々以上にアジア諸民族の団結を叫び、映画館ではニュース映画で戦勝のシーンが出るたびに拍手喝采だった。(中略)変化はミッドウェイの敗北(昭和十七年六月の日本とアメリカとの海戦。日本の敗北により戦局の主導権はアメリカに移る)後に現れる。西南戦争(明治十年に西郷隆盛を擁して氏族が起こした反政府内戦)で、田原坂の敗戦が九州の農民たちの態度を一変させたのと同じである。民衆は常に勝者に味方する。石川達三(明治三十八年〜昭和六十年。小説家)が言った通り、彼らは「風にそよぐ葦」なのである。

 

 

日本国憲法はGHQに押しつけられたもの

 

日本国憲法は平和憲法で、第9条があるから日本は平和なんだ。

戦後教育でそのように教えられてきた。

そしていまでもそう信じて疑わない人たちがいる。

だが、ここでそれを非難する気は毛頭ない。

 

著者が所属したCCDは、GHQ配下の参謀第2部に属しており、ここでプレスコードを基準に検閲が行われた。

プレスコードとは「日本に与うる新聞遵則」というもので、新聞などの報道機関を統制するためのものである。

こうした検閲の基準となるものに「削除と発行禁止のカテゴリーに関する解説」というものがあり、それは30項目からなる。

その30項目の禁止事項のなかに「GHQが日本国憲法を起草したことの言及と成立での役割の批判」がある。

 


このようにして戦後の日本人はメディアや教育などによって洗脳されてきたのである。

 

こうした洗脳は他人がそれを批判すればするほど意固地になってしまうものである。

洗脳を解くには自らが本当のことを知ろうとすることから始めるしかないと思う。

そうして「なんかおかしいな」と感覚で感じ取れなければ洗脳から逃れるのは難しいのではないだろうか。


以上のことを理解した上で著者の語る言葉を読んでほしい。

 読んだ手紙の八割から九割までが悲惨極まりないものであった。憲法への反響には特に注意せよ、と指示されていたのだが、私の読んだ限りでは、新憲法万歳と記した手紙などお目にかかった記憶はないし、日記にも全く記載はない。繰り返して言うが、どうして生き延びるかが当時は皆の最大の関心事であった。憲法改正だなんて、当時の一般庶民には別世界の出来事だったのである。

 今はかなり年輩の人たちでさえ、我々は昭和二十一年十一月三日あの新憲法によって絶対不戦を誓ったではないか、とおっしゃる。戦争の悲惨をこの身で味わい、多くの肉親や友人を失った私など、平和を念じる点においては誰にも負けないと思うのだけれど、あの憲法が当時の国民の総意によって、自由意思によって、成立したなどというのはやはり詭弁だと断ぜずにはおれない。はっきり言ってアメリカの押しつけ憲法である。我々庶民は蚊帳の外に置かれていた。己の意見を素直に表明する機関も無く、機会も無く、ただ毎日いかにして生き延びるかに必死だったのである。

以上のように述べた上で、その後に新憲法に反対した学者等の名前を挙げている。

 

その中に、野坂参三の名前がある。その日本共産党議長を務めた野坂参三を始めとする共産党員たちが反対していたことが書かれている。

 

野坂参三について調べてみると、第91回帝国議会 衆議院 本会議 第11号 昭和21年12月17日に次のような発言がある。

また憲法第九條――御存じのように、ここには戰爭放棄ということが規定されている。われわれは侵略戰爭には絶對反對である。しかしながらこの第九條の討論の中においてはつきりしたことは、すなわち自衞權をわが國が棄てたということである。自衞權がないわが國の民族、これの獨立さえ棄てよということが、この條項の中にはいつている。われわれ共産黨はこれに對して徹底的に反對した。

 

あれっ、と思われた方もいるだろう。僕も驚いた。

現在、日本共産党のポスターには次のように書かれている。『憲法9条いかし平和の外交を。9条改憲にきっぱり反対します」

 

180度転換だよね。それなのにブレない共産党?

 

それはともかく、

 

戦後の日本国民の大半が食べるのに精一杯で、憲法のことなど考える余裕がなかったという証言は、本書前半の著者自身の家族を食べさせるために奔走した生々しい記録がその裏付けとなって迫ってくる。

 

以上、ますます日本人自身による日本人のための憲法が必要なのではないかと思うようになったのであった。

 

なお、聖徳太子が制定した一七条憲法は廃止されてはいないので、現在もそのまま生きているとも言われている。

 

 

すると、そもそも「憲法」とは何かということから勉強しなければならないことになる。


日本大百科全書(ニッポニカ)「憲法」の解説を読んでみたが、残念ながら僕の頭ではさっぱり理解できなかった。

 

憲法とは - コトバンク

 

 

一七条憲法のわかりやすい解説がこちらにあります。

intojapanwaraku.com

 

 

kamijimayoshiro.jp

 

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最後に

以上は、ここで紹介した『GHQ検閲官』の他に、Wikipedia 『アメリカの戦争責任: 戦後最大のタブーに挑む』(竹田恒泰著、PHP新書1000)を参考にしている。

 

あらためて思うのは、一般大衆は感情によって動かされると言うことである。

 

たとえ有能なものが集まって政(まつりごと)を行うことができたとしても(いや、これはぜったいに必要なことだけれど)、一般大衆の反対によって最善の策が行えないことだって考えられる。

 

そのためにはやっぱり子供の時からの教育が大切であると思う。それは、今の教育のようなテストで良い点を取るような勉強はほどほどにして、人間としてどうあるべきかということを幼い頃からしっかり身につけていくことが大切だと思うのだ。

 

人はみんな違って生まれてくる。万能な人間なんていない。長所があり欠点がある。だから和をもって補い合って暮らしていくのが一番だと思う。

 

「助け合う」のではなくて「補い合う」。これって平等だよね。

 

では、このへんで

 

 

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