Hakuto-日記

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「写真」という言葉について

 

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現在は携帯・スマホの普及により「写真」は生活の一部になっています。
 
自転車日本一周を行った時も、ほぼスマホで写真を撮っていました。
 
その時の写真をインスタグラムで毎日1枚ずつシェアしているのですが、他の方の素晴らしい写真がたくさんあって、気がひける時もあったりします。
 
けれど、たくさんの人が写真を撮っているなあと感じます。素直に撮った写真もあるけれど、バリバリに加工した写真もある。どれも同じ写真だけれど、伝えているものは違います。
 
ブログにもたいてい写真が載っていますね。やはりここでも使い方に違いがあります。
 
そんなことから、写真ってなんだ? そもそも「写真」て言葉はいつから生まれたのだろうと、ふと考えました。
 
そこで今日は、写真について考え、写真の語源についても調べて見ました。
 
結論から言うと、写真の本質には二つあると思います。
ひとつは「宣伝・広告のため」、もう一つは「記録するため」です。
 
また、写真という言葉は江戸時代の末に使われ始めましたが、実際に庶民の間に定着するのはもっとずっと後になってからのようです。そして、写真は真を写すと言う意味ではなく、写真の真は姿という意味なのだということ、つまり似顔絵を意味したということです。
 
この記事を読んで、写真についてちょっぴり考えるきっかけとなったら幸いです。
 
 
【目次】

簡単に写真の歴史から

 
写真のそもそもの始まりは、暗い部屋に壁に開いた小さな穴から漏れる光が、壁の反対側に外の景色が上下左右逆に映ったのをみた人が、それを箱の中に再現したことが始まりでした。この箱はカメラ・オブスキュラと呼ばれていました。
 
1827年、フランスのジョセフ・ニセフォール・ニエプスは、このカメラ・オブスキュラに感光剤を装着して写真を撮りました。おそらくこれば世界で始めての写真でしょう。
 
その研究を引き継いだルイ・ジャック・マンデ・ダゲールは、1839年に銅板にヨウ化銀を乗せたダゲレオタイプと呼ばれる方式を発明しました。そして、この方式による肖像写真が流行しました。しかし、ダゲレオタイプは原板がそのままポジの写真のため、1枚しかありませんでした。
 
同時期の1840年、研究を途中でやめていたイギリスのウィリアム・ヘンリー・タルボットは、ダゲールの発明に刺激され、多くの研究者の協力のもと、カロタイプというネガ・ポジ方式を発明しました。これがネガフィルムの元祖となるわけです。そしてタルボットは、世界で最古の写真集『自然の鉛筆』を出版しています。
 
1851年、イギリスのフレデリック・スコット・アーチャーがガラス板を使ったネガ版を作るという湿式コロジオン法を発明します。タルボットが用いていたネガは紙を使用していたので、画像が不鮮明でしたが、この方式ではダゲレオタイプのように鮮明な画像が得られました。以後、この方式が肖像写真の主流となっていきます。同時に、肖像写真ではない記録写真も撮られるようになりました。
 
その後、1871年に湿式コロジオン法を改良した乾式のゼラチン乾板が開発され、工場による大量生産が可能になりました。
 
1884年、アメリカのジョージ・イーストマンが紙フィルムを開発し、翌1885年からイーストマン・コダックより製造、1889年に紙からセルロイドに変更されます。1888年にはNo.1コダックカメラがロールフィルムを詰めて発売されます。
 
ドイツのオスカー・バルナックは、35mm映画用ロールフィルムを使用するカメラの試作機を作っていたときに第1次世界大戦が勃発。そして1925年、この試作機を改良した製品がエルンスト・ライツから発売されます。この試作機はのちにウルライカと呼ばれます。そして、発売されたライカのフォーマットがライカ版(24X36mm)で、以後、このフォーマットが主流となり、デジタル時代の今でも生き残っています。
 
以上のとおり、写真の発展はカメラや感光材料などの機材の進歩とともにあり、機材の進歩が被写体を選ぶようにもなっていて、切り離せないものとなっています。
 
 

「写真」という言葉はいつできたのか

 
日本には、江戸時代末の1843年に、長崎で写真機材が持ち込まれましたが、機材をスケッチしただけで持ち帰られてしまします。1848年に島津斉彬が写真機材を輸入し、薩摩藩により写真技術の研究が進められます。
 

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記事の内容とは関係ありません。
 
そして、書物から当時の化学者が感光剤を調合し、コロディオン湿板方式で現像、プリント、そして撮影まで行いました。長崎の上野彦馬や横浜の下岡蓮杖などが同時期に写真館を開き、幕末の武士の肖像写真を撮っています。また、上野彦馬は戦場に赴き戦場カメラマンとして写真を撮っています。
 
 
では、日本語の「写真」という言葉はいつから使われているのでしょうか。
 

「写真」ということば ──「写真」の語源について/笠井 享によると、

 

1700年代半ば、杉田玄白のころには、西洋事情を紹介した書物の中に、『箱の内に硝子の鏡を仕掛け、山水人物をうつし描ける器、かの地にて写真鏡とよべるものあり。』

  

ということで、フォトグラフィが発明されるかなり以前より、「写真」という言葉は使われていた。
 

つまり「写真」とは、「真=姿」を「写」したものであり、フォトグラフィ以外でも、水墨画や浮世絵や他の絵図でも肖像画は「写真」だった。

  

と述べている。
 
 
ということは、日本における「写真」は肖像画のことであり、欧米のカメラや感光材料の発展も肖像画とともにあることを考えれば矛盾しません。
 
 
ただし、問題なのは、現在の私たちは「真」は真実のことだと思っていることです。もともと写真は真実を写すものではないのです。
 

「フォトグラフィ」は、日本伝来当初から約15年くらいの間に、いろいろな呼ばれ方をしたが、結局、定着した最初の言葉としては「写真」だったのであろう。

 

当時「印影」「直写影」「留影」「撮景」などの言葉が文献にみられるそうですが、結局はっきりとしたことはわからなかったようです。
 
 

写真の本質とは

 
とはいえ、写真とは肖像写真だけのものではないのが現在の姿です。
 
では、写真の本質とは一体なんなのでしょうか。
 
 
本来はここに映像というものも関係してくると思いますが、ここでは静止した写真というものについて考えたいと思います。
 
 
写真というのは、何かを人に伝える手段のひとつだといえると思います。
 
そしてその目的は二つあると考えます。
 
その一つは、宣伝・広告のためです。おそらくこれが一番大きなものとなるでしょう。
 
これまでの歴史を見ても、それは明らかです。その一番大きな事例は戦争です。国民の戦意高揚を目的とするプロパガンダとして、日本だけでなく世界中で写真が利用されました。大衆操作には言葉だけでなく、直感でいつの間にか体に染み込んでくる映画や写真が利用されました。よく見るのがニュース映像ですね。写真では日本工房の「NIPPON」というグラフ誌がありました。
 
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
 
広告としては、商品を売るのに写真は不可欠です。実物の代わりに写真をつかえばその商品がどんなものかがわかります。したがって、商品写真はできるだけその商品の質感や色が再現されていなくてはなりません。それに加え、ファッション雑誌などでイメージ的、芸術的な写真も撮られるようになります。ヴォーグ誌等で活躍したリチャード・アベドンなどが有名です。これも商品を売るためのものです。
 
 

 
戦争に関わる写真は、戦争を批判することにも使われるようになりました。それを象徴するのがグラフ雑誌「LIFE」です。写真家では『ちょっとピンボケ』のロバート・キャパが有名ですが、日本人ではピューリツァー賞をとった沢田教一の「安全への逃避」などは、人々の心を戦争はもうやめるべきだと思わせました。けれど、写真はキャプションの付け方次第で内容が変わってしまいます。
 
LIFE 06191944 Eisenhower cover.jpg
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 

Amazon.co.jp: ちょっとピンぼけ (文春文庫): ロバート・キャパ, 川添 浩史, 井上 清一: 本

  

ライカでグッドバイ: カメラマン沢田教一が撃たれた日 (ちくま文庫) | 冨貴子, 青木 |本 | 通販 | Amazon

 
そういったことは、『写真のワナ』(進藤兼一著、情報センター出版局)という本に書かれています。現在、手元にないので内容を確認することはできないのですが、広島の原爆写真に実は長崎のキノコ雲の写真が誤って使われて、それを見た人々は間違ったまま記憶してしまったことや、少し違っているかもしれませんが、男女数人で写っている写真の中からある二人の男女だけをトリミングして抜きだして、「密会デート」などとキャプションをつければ、それを見た人は、二人は付き合っているのだと思い込んでしまう。そんなようなことが書かれていたと思います。
 

新版写真のワナ | 新藤健一 |本 | 通販 | Amazon

 

 
つまり、写真は真を写さないということ。合成写真が簡単に作られる現在、写真を見る側の意識も高める必要がありそうです。
 
そしてもう一つの写真の本質とは、「記録」ということです。これは、単純に記録のための写真ということもありますが、前述した宣伝・広告のための写真が記録写真になることもあります。肖像写真も同じように飾って人に見せるための役割とともに記録でもあります。前出のリチャード・アベドンは多くの肖像写真を撮っていることでも有名です。
 
 
では、記録写真は何のために必要なのでしょうか。それは、昔を懐かしんだりすることもあるでしょう。過去の作家の肖像写真を見て、こんな人物だったのか思うこともできるでしょう。けれどそれだけではなく、文化の伝承や過去の過ちを繰り返さないため、つまりはよりよき未来を築いていくために重要なものだと思います。
 
 
先に示した戦争プロパガンダ写真も、戦争批判の写真も、現在見れば記録写真としての価値があります。今後戦争を起こさないようにするため、過去に国は戦争をするためにどのように国民を操作したか、戦争になると人々はどのような目にあうのかを直感で分からせてくれます。
 
 
以上が、写真の本質だと考えます。
 
 
けれどそれ以外の写真を否定する気は毛頭ありません。写真が銀塩からデジタルに変わり、自由に加工して気軽に楽しめるものとなりました。写真を使ってアートを制作することは昔から行われています。
 
 
ただ、そうなった現在でも、商品写真は実物と違えば購入者からクレームが来るだろうし、記録写真となるものは、できるだけ事実が伝わるように撮られた写真が正確に記録される必要があると考えているわけです。
 
  

まとめ

ここまで長々とお付き合いいただきありがとうございました。
 
なぜ、写真について書こうと思ったのかはオープニングのところで書いたとおりですが、そのほかにも、20代のときに写真専門学校へ2年間ほど通っていたことがあり、以後、仕事にはしませんでしたが、ぽちぽちと写真を続けていて、関心をもっていたことによります。
 
写真学校時代、写真評論家の飯沢耕太郎氏の講義はとても面白く、また、たくさんのスライドを見せてもらい勉強になりました。
そんなことを思い出しながら、今回の記事を書きました。
 
 
現在、写真を取り巻く環境は大きく変化しています。モノクロが主流の銀塩写真からネガやリバーサルフィルムによるカラー写真。そしてデジタル写真へと変化してきました。
 
当時講師だったカメラマンの方々も、スタジオはどんどん閉鎖され、写真貸し出し業務を行う写真エージェンシーに預けるのがメインだった方々も、リバーサルフィルムを貸し出す写真エージェンシーがなくなり、働き方を変えざるを得ない状況に追い込まれていきました。
 
けれど、写真が被写体を撮るというものである限り、写真の本質は変わらないのではないかと思っています。
 
あなたはどのように思いますか。
 
 
 

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