Hakuto-日記

定年後を楽しく、生きたい人生を生きる!

「母がしんどい」を読んだらしんどくなった 【久しぶりの心理学ネタ】

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先日、6年ぶりでみんなと顔を合わせた。

みんなって?

それは、TA(注)のインストラクター養成講座の受講者仲間。

全員がインストラクターに合格し、お祝いを居酒屋で行った。それ以来だ。

といっても今回はZOOMでの再開。

皆それぞれに活躍していた。

 

そのときに仲間からあるマンガの本が紹介された。

そこで早速その本を読んでみた。

そしたらなんだかすごくしんどくなった。

それで、みなさまに話したら少しは楽になるのではないかという、ちょっとずる賢い算段なのである。

それでも、お付き合いいただけたら嬉しい。

(注)TAとはTransactional Analysis の略。日本語では「交流分析」と訳されている。

 

 

マンガ「母がしんどい」

毒親という言葉を聞いたことがありますか。

まさにその毒親に育てられた著者(漫画家 田房永子)の体験を漫画にして単行本として出版。それが多くの共感を呼んだ(らしい)。つまりはベストセラーになっています。

 

出版されたのは2012年ということだから、いまから11年も前のこと。

恥ずかしながら、今回その仲間から話を聞くまでそのことを知りませんでした。

詳しい本の内容は聞かなかったのですが、気になったので早速電子書籍で読んでみました。

 

 

毒親、毒母

この漫画での主人公は毒母です。

そしてこの本のテーマは母と娘のまともとは言えない相互依存です。いいえ、「共依存」といったほうが適切だと思います。

 

共依存とは、お互いが無意識に依存しあっている状態のことです。

 

この共依存からどうやって抜け出すか。それにはまずそのことに気づかなければなりません。

そのことに気づいた著者である娘は、母親から距離をおこうとしました。

 

 

さて、毒親とはどういった親のことを言うのでしょうか。

ここで、ウィキペディアの説明を(少し長いですが)引用させてもらいます。

毒親(どくおや、: toxic parents)は、と比喩されるような悪影響を子供に及ぼす、子どもが厄介と感じるような親を指す俗的概念である。1989年スーザン・フォワード(Susan Forward)が作った言葉である。学術用語ではない。スーザン・フォワードは「子どもの人生を支配し、子どもに害悪を及ぼす親」を指す言葉として用いた。「毒親」に関する議論は、親の「自己愛」問題が主な共通点であり、自己愛的な親英語版について語られることが多い。毒親に育てられたと考える人が、自らを毒親育ちと称することもある。

 

さらにウィキペディアによると、日本では「『毒になる親 一生苦しむ子供』として1999年に翻訳・出版され」たとあり、「毒親は「子どもの人生を支配し、子どもに害悪を及ぼす親」を指す言葉として使われた。」と書かれていました。

 

『毒になる親』は読んでいませんが、タイトルを見るかぎり子どもの立場から書かれたものなのでしょうか。もしそうなら、それでは片手落ちであると思います。

 

親(ここでは母親)がどうしてそのような行為をするのかという視点も必要だと思います。母親がどうして娘になにもかも従わせようとするのか、その心理はどのようなものなのか(本人は意識をしていないかもしれませんが)。そういったことが気になりました。

 

母親が気づくためにはどうしたら良いか、そのことが根本的解決のスタートになるのではないかと思いました。

 

 

しんどい母親の娘の問題

本書は、言うとおりにさせたいという著者の母親について、娘の立場からその心情が漫画でよく表現されていました。

 

けれど、それは親だけの問題なのか、子どもの態度がそれを許してしまっているのではないかと言う疑問が湧いてきました。

 

わかりません。そうした人を目の当たりにしたことがないからです。

けれど、本書を読んでいて、著者が母親から言われることを最初は拒否していても、最終的には受け入れていることにちょっぴり違和感を感じました。

 

小さころからの躾で洗脳されてしまっているのかもしれません。

幼いころから母の言うことにしたがっていれば母親は上機嫌。だからあえて母の機嫌を損ねるようなマネはしたくない。それに自分で考えるよりそのほうが楽だと思ったということはないでしょうか。

 

多くの場合、第二次反抗期のころから親の言うことを聞かなくなるのではないかと思います。

たしかに著者も激しく抵抗しています。

 

けれども娘もどこかで母に依存していたのではないかと思うのです。

どんなに抵抗してもどうにもならなかったのかもしれませんが。

 

 

父親の存在

 

こうした母娘のやりとりを見ていた父親は何をしていたのでしょう。

この本の中では父親はほとんど登場しません。

けれど、その敵でも味方でもないと思っていた「石像化する父」から届いた手紙に著者は驚愕します。

 

「親が死なないと親のありがたみは分かりますまい」という呪いの言葉。

その呪いがいつまでもとけなかったと著者は本書の中で語っています。

 

けれど、父親の立場として思うのは、たとえ思うところがあっても娘の母である妻に介入することができなかったのではないかと想像します。

 

妻に意見をしたところで直るはずもなく、単に夫婦仲が悪くなるだけだろうからです。

そうやって母と娘の世界から父親は遠く離れていくのです。

 

それでも父親であると言う面目を保つために娘に手紙をしたためたのでしょう。それが呪いの言葉となってしまったのです。

 

 

娘が親になって

著者は結婚を機に母と決別します。

ところがそのうち母親と同じ行動をしていることに気づきます。

このままでは生まれてくる子供に母と同じことをしてしまいそうだと不安になります。

ところが夫に対してはすぐにキレてしまうというのです。

 

児童虐待を受けた子供が親になって同じことを繰り返す人が多いと言うのと同じなのではと思いました。

それだけ根が深い問題なのです。

 

少なくとも娘が大人になれば、母親と会わなければ毒親の影響から逃れることができます。

けれど、こんどは自分が毒親になってしまうかも知れないという問題からは逃れることができません。

 

この負の連鎖をどうやって断ち切ればいいのか。

こうした根の深い問題を突きつけられて、こころが重たくなりました。

 

 

最後に

現在、著者はゲシュタルトセラピーが欠かせないものとなっているとブログに書いています。

 

note.com

 

ゲシュタルトセラピーについてはよく知りませんが、本書を紹介してくれたTA仲間は、こちらの方の勉強も重ねているとのことでした。

 

最近はTAの研鑽を怠っているので、仲間に対してちょっと引け目を感じてしまいました。

仲間と話をして、6年前にちょっぴり引き戻されたように感じました。

大人になってからの仲間は大切にしたいと思いました。

 

では、このへんで

 

 

 

 

 

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