Hakuto-日記

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記憶はウソをつく 真実は藪の中

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 Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 

水かけ論ってありますよね。

職場などではよくあるのではないでしょうか。

 

実際、言ったことをよく忘れてトラブルを起こす人もいます。

 

けれど、証拠を残しておかないと最後は力関係がものをいったりして、やるせない思いをすることもあります。

 

今回は、記憶がウソをつくことについての話です。記憶で判断するのは危険ですよ。

 

今回の内容は

 

 

4コマ漫画「藪の中」の出来事

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 (職場の新人による道路のゴミ拾い中)
春子「あれっ、山田くん。腕に傷跡があるね」


山田「あっ、これね。実はこれ、子供の頃に犬に襲われてね、一緒にいた女の子をかばったせいで逃げ遅れちゃったんだよ」


春子「へぇー、かっこいい。その子きっと山田くんに感謝しているね」

 

(とある街をカップルが歩いていた)
男「さあ、今日は何が食べたい?」


女「そうねえ・・・」

 

(そこで突然犬が吠えかかる)
犬「ワンワンワン、ワンw」


女「キャッ!」


(女、男の陰に隠れる)
男「あれ、ひょっとして犬が苦手?」


女「子供の頃に襲われたことがあるのよ」


男「へぇー」


女「怖かったわよー。一緒にいた男の子なんか逃げ遅れたから噛まれちゃって。そういやあの子、どんくさかったなあ。今頃どうしてるかしら」

 

これは、秋月りすの漫画『OL進化論』8巻112ページをちょっと脚色して会話形式にしたものです。

 

この会話から推測すると、犬に噛まれたどんくさい子供は山田くんのようです。

 

けどちょっと待って!

 

本当にそうでしょうか。他に考えられることはありませんか?

 

 


可能性を考える

 

ここでは山田くんとカップルの女性が犬に襲われた時の当事者だったとして考えてみましょう。


1 山田くんの記憶に誤りがある
2 カップルの女性の記憶に誤りがある
3 どちらの記憶にも誤りがある

 

1の場合の可能性

カップルの女性が言うとおり、どんくさくて逃げ遅れたので、一緒にいた女の子をかばったと言っているうちに自分でも本当のことだと思うようになった。


2の場合の可能性

山田くんがかばってくれたことに気づかなかったか、あるいはいつもどんくさいので忘れてしまった。


3の場合の可能性

山田くんは足がすくんで動けなかった。一緒にいた女の子も動けなかった。けれど噛まれたのは山田くんだった。

 

そのほか、どちらかが格好をつけて記憶とは違うことを言っている可能性もあります。

 

けれど、二人が正しいと思っている記憶がウソをつくことは心理学の実験でも明らかになっています。

 

本人が間違いないと信じていることも、実は間違っていることもあるのです。

 

たとえばこんな実験があります。

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被験者に上の図形を記憶してもらいます。そのときに、人により「メガネ」とか「ダンベル」とか名前を言いながら見せて、後から思い出しながらその絵を描いてもらうと、「メガネ」と言われた人は

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のような「メガネ」っぽい図、一方、「ダンベル」と言われた人は

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のような「ダンベル」みたいな図に変形してしまったのだとか。

 

これは、はじめの図に意味を与えたことで記憶が変容してしまったということです。

 

記憶というものは、必ずその人の思考のフィルターを通っているので、同じ出来事を見ていても受け取り方は違っている可能性があるので、記憶が事実かどうかは疑ってみる必要があることがわかります。

 

(以上、出典:クリティカル進化(シンカー)論 *可能性については個人の意見が入っています。)

クリティカル進化(シンカー)論―「OL進化論」で学ぶ思考の技法 | 道田 泰司, 宮元 博章, 秋月りす |本 | 通販 | Amazon

 


フォールスメモリ

 

火のないところにも煙は立つ

1993年、イギリスで「偽りの記憶(フォールスメモリ)」訴訟がおきました。

 

カトリックの高名な聖職者が突然、性的虐待で訴えられたのです。訴えたのは青年で科学捜査の結果、青年の記憶が間違いであったことが証明されました。

 

その後、こうした「なかったことなのにあったような気がする」という、偽りの記憶による訴訟が相次ぎ、アメリカやイギリスではフォールスメモリに関する協会が誕生し、偽りの記憶で突如加害者となった人たちを救済する仕事が行われているということです。

 

訴訟を起こしたのは、ごく普通の人たちであることから、こうした思い違いは誰にでも起こることだといえます。

 

その結果、

1被験者の思い出を対象とした記憶は信憑性がない。
2記憶は思い出す際にかなりゆがみ、本人さえもそれにだまされる。

 

ということが常識になってきています。

 

 

構成的想起

 

同じ会合に出席した人に聞くと、「全く気まずい会議だった」という人もあれば、「大変盛り上がった」という人もいる。


全く同じ状況で同じように目撃した情報が人によって食い違うことも少なくありません。

 

では、こうしたことがなぜ起こるのでしょうか。

 

そのひとつとして、会話が偽りの記憶を作ることが実験によりわかっています。

 

被験者に自動車事故の映画を見せ、その直後に映画のなかで起きた出来事について質問をします。

 

一方には「車が激突した時何キロくらいスピードが出ていたか」

もう一方には「車がぶつかった時何キロくらいスピードが出ていたか」

 

そして1週間後に再び質問をします。
その中には映画には写っていない場面の質問もありました。

 

「あなたは映画でガラスが割れたのを見ましたか」というものです。

 

ぶつかったと質問された被験者は、みな「ノー」と正しく答えました。
一方、激突したという質問をされた側は、30%以上が「イエス」と答えました。

 

これは、「ガラスが割れた」という場面を頭の中で作り出したということです。

 

また、別の実験では被験者にごちゃごちゃと家具やものが置かれた部屋に入ってもらい、そのあとに次の質問をします。

 

一方には「さっきのリビングにあったものをなるべく思い出してください」というように。


すると「ソファー」「コーヒーカップ」「テレビ」などといかにもリビングにありそうなものを答えました。

 

もう一方には「さっきの研究室にあったものを思い出してください」と質問します。

 

すると「デスク」「パソコン」「書類の山」などと、こちらは研究室にありそうなものを答えました。

 

このように、誘導的な質問により、思い出す内容が作られることが証明されました。このことを「構成的想起」といいます。

 

(以上、出典:『本当にわかる心理学』植木理恵 著

 

クリティカル進化論の中にあった「メガネ」と「ダンベル」もこれと同じ構成的想起であるということですね。

 

いずれにしろ、記憶による事実だけで議論するのは間違っていることだということです。 

 

水掛け論もお互いの記憶で言い合っているだけですよね。ですから、せめて記録を残しておきたいものです。

 

私の経験のなかでも、相談した人が言われたとおりに仕事を進めていたら、相談を受けたものが待ったをかけました。しかし、相談を受けたことを全く覚えていませんでした。相談者はその時の内容をメモして残していたので、相手は引き下がざるを得ないということがありました。

 

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まとめ

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

以上のことから、犬に襲われたときに山田くんもいっしょにいた女の子も、あとからどんな状況だったかを聞かれて答えているうちに事実とは違う記憶を作り出したのかもしれませんね。

 

どちらも間違っていないと思っているけど事実は異なっていた、ということだったのかもしれません。

 

犬に襲われた時にいたのは二人だけだったのでしょうか。近くで見ていた人がいたらもうすこし客観的な見方ができるかもしれません。

 

たとえば山田くんが犬にちょっかいを出していた、なんてね。

 

こういったことを知ると「ロードバイクにもドライブレコーダーが必要だな」なんて思ってしまいます。

 

では、このへんで

 

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