Hakuto-日記

定年後を楽しく、生きたい人生を生きる!

名古屋出張のあと飛騨高山に行く 【思わぬ出会い】

f:id:Hakuto-MA:20210515214947j:plain

(雪の上三之町 プリントをデジカメで複写)

 

「昔はよかった」

そういうと年寄り臭いが、昔はいまのようにギスギスしてはいなかった。それは職場の規則についてのことだ。

うんうんと、うなづかれる人もたくさんいると思うが、本当に良かったなあといまでも思うのが、出張先の仕事が終われば自由になれたことだ。

特に若い人はお金がなくてそう度々旅行には行けない。

そんなとき、出張先で仕事が終わった後に自由に好きなところへ行くことができれば、交通費をかけないで旅行ができることになる。

ところが現在は、おそらくどこの企業でも仕事が終わればすぐに帰らなくてはならないことになっているだろう。たとえ次の日が休日でもだ。

 

だから今のようなギチギチの出張では若い人の見聞が広がらない。

旅をすると様々な経験をすることになる。それが人間を成長させ、仕事においても役に立つことを多くの企業の経営者は分かっていないと思うのだ。ひょっとしたらそこで知り合った人が得意先になることだってないとはいえないのだ(自分にはなかったけれど)。

 

名古屋出張のあとの気ままな旅を振り返り、そんなことを思った。

飛騨高山へ

84年3月上旬、名古屋近辺に出張した。2日間の仕事を終えたあと、チームと別れてひとりで飛騨高山に向かった。


新名古屋駅を朝9時35分の列車に乗り、高山駅には12時29分についた。高山駅の近くで天ぷらそばを食べ、歩いて高山陣屋を見学した。そこから再び徒歩で歴史的街並みの上三之町あたりをぶらりと散歩する。

 

f:id:Hakuto-MA:20210515221414j:plain

(ネガをアプリで反転)

 

そして城山公園に登り、高山の街を見下ろすと屋根には雪が積もっていた。山から下りてきて坂を下った辺りが上二之町でそこにある宿に泊まった。

 

f:id:Hakuto-MA:20210515221517j:plain

(ネガをアプリで反転)

 

夕方5時半に下の食堂へ降りて行くと、一見若そうな人が先に来て座っていた。食事の用意をみると3人分が用意してある。つまり今日の客は私とその若作りの人、そしてその他一人だ。その他一人が降りてこないので、若作りの人と話をすることになった。

 

朴葉味噌をつつきながらいろいろ聞いていると、その人は1週間くらい前から旅行をしているということで、いかにも旅慣れている感じだった。そのうえ話好きだった。なんとなく話が合って一緒に町まで飲みに行くことになった。

 

ともかく面白い人で、ちっとも歳をとらない人だった。まあ、よくみればそれなりの歳だとわかるが、全体の雰囲気は20代後半といった感じだ。話を聞くと38歳だということだった。その人が、今年からフランスに留学するというので驚いた。38歳にもなって留学とはすごい人だなと思った。

 

入ったのは小さな居酒屋だった。カウンターに並んで座る。たくさん話をしたのだが、そのうち覚えているのは、関西風お好み焼きには山芋を入れるとか小判型にするとか(その人は大阪の人だった)ということや、フランスではチップを用意する必要があって、最低10分の1くらいを払うということなどを教えてもらった。

 

歳は離れているのに気が合って、その夜は二人で地酒を飲みながら楽しく話をした。

そのうちに、翌日は一緒に飛騨の里へ行こうということになっていた。

 

f:id:Hakuto-MA:20210515215852j:plain

(昭和58年度版飛騨高山観光リーフレットより)

 

飛騨の里

f:id:Hakuto-MA:20210515223109j:plain

(ネガをアプリで反転)

 

翌朝は寒さで7時頃に目がさめる。ストーブに火をつけ、30分くらい布団の中にいてから起き出した。前夜あれだけ飲んだのに(なんと地酒を4合も飲んでいた)二日酔いはなかった。外を見ると雪が降っていた。

 

起きるとすぐに朝食を食べに食堂へ行く。そして宿で傘を借り、8時半に飛騨の里に向けて出発した。

 

歩いて行くには少しばかり遠く雪も降っているので、タクシーで向かうことにする。

 

到着してみると思いのほか園内の雪が深い。これではちょっと回るのは無理だな、と思っていると貸長靴があるという。そこで二人で借りることにした。おまけに長靴を暖めてくれているのが心憎いばかりである。長靴を履いて歩き出す。長靴がなければ歩けない状態だったので、とても助かった。

 

園内では、雪の中に古民家が佇んでいて、本当にいまも生活しているかのように思われた。これが雪国の里なんだとひとりで納得していた。

 

ある古民家の中に入ってみると囲炉裏があった。上がってみると、板の間が凍ったように冷たい。とても長くは立っていられなかった。きっとむかしも足が冷たくて大変だっただろう。しもやけやあかぎれなんてざらだったんだろうと想像する。

 

また、別の古民家には木箱の橇と竹スキーが置いてあった。家の脇の坂道を滑り、しばらく二人して童心にかえって夢中で遊んでいた。

 

f:id:Hakuto-MA:20210515223224j:plain

(ネガをアプリで反転)

 

f:id:Hakuto-MA:20210515223313j:plain

(昭和58年度版飛騨高山観光リーフレットより)

 

ひととおり園内を回って帰りに長靴を返すと、なんと来る時に濡れてしまっていた靴がすっかり乾いて戻ってきた。なんて親切なんだろう。単純にこの町の人が好きになり、この高山という町も好きになっていた。

 

f:id:Hakuto-MA:20210515223517j:plain

(ネガをアプリで反転)

 

最後に

この若作りの人とは2年後に大阪で再会した。

このときも出張の仕事が終わった後で、舞鶴から連絡をして大阪で待ち合わせた。

お好み焼きの店に連れていってもらい、今度は実地で焼き方を教わる。フランス留学の後、大阪で保険の代理店をやっているとのことだった。そのとき、「自分の人生を自分の好きなように生きているなあ」と感じ、とても刺激を受けた。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

では、このへんで

 

この時泊まった宿はこちら(当時は上二之町平田記念館の隣にあった)

これは間違いでした。当時泊まったのは「お宿 山休」でした。

takayama-yamakyu.com

広告