Hakuto-日記

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ミス・ビードル物語〜世界初 太平洋無着陸横断飛行発進の地 三沢淋代海岸

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自転車日本一周で立ち寄った、気になる場所を調べて見たら面白かったのでご紹介させていただきます。
 
 
あなたは、世界初 太平洋無着陸横断飛行に成功した飛行機が三沢の淋代(さびしろ)海岸から飛び立ったことを知っていますか。その名はミス・ビードル号といいます。
 
 
さて、その物語とはどんなものだったのでしょう。
 
 

ミス・ビードル物語

いざ、太平洋へ

1931年(昭和6年)10月4日、まだ夜が明けぬうちから人々の表情は一様に強張っていた。すでに何回か決行が延期されていたので、今度こそといやが上にも皆の期待は高まる。
7時少し前、パングボーンは地元の人々の協力を得てエンジンを掛け、風が弱まるのを待った。
 
パングボーンはしっかり操縦桿を握り、ハーンドンは片手でダンプバルブを、片手でガスレバーを十分に開いて、機体の浮上を祈る思いで待った。速度は五〇マイル、六〇マイル、七〇マイルと増加したが離陸せず、パングボーンは焦った。時速九〇マイルに達したとき、飛行磯はやっと、全くやっと地上を離れた。離陸だ。

 (三沢国際クラブHPより引用)

 

パングボーンとハーンドンを乗せたミス・ビードル号は、離陸すると大きく旋回し、淋代海岸で見送る人たちに別れを告げて、偉業達成に向かって太平洋上に消えていった。

 

挫折そして拘束

これに先立つ同年7月28日、アメリカのパイロット、クライド・パングボーン(35歳)とヒュー・ハーンドン(26歳)は、世界早回り飛行に挑戦するためニューヨークを飛び立った。二人が乗った飛行機は、ベランカエアークラフトコーポレーション製でベランカ・スカイロケット(翼長14.8m、長さ8.5m)にブラッド&ホイットニーワプス425馬力エンジンを組み込んだもので、このエンジンは短距離の滑走路で離陸が可能であるという利点をもっていた。
 
また、エンジンオイルをハーンドンの祖父の経営する会社、ビードルオイル社から提供を受けていたため、オイル缶の色と同じオレンジドープで機体を塗装して、"ミス・ビードル"と命名した。
 
パングボーンはパイロットの教官を務めるほどの腕前であり、世界一周早回りを成功させるためには、優秀なベランカ・スカイロケットが必要だと考え、お互いよく知る仲で裕福なニューヨークの実業家の息子であるハーンドンに計画を持ちかけた。ハーンドンはこれに強い関心を示し、母親と叔母の援助により同機を手に入れた。
 
べランカ CH-400 スカイロケット (プラモデル)
 
 
世界早回り飛行は第一陣が8日と15時間51分の記録で成功した。二人はこの記録を更新することが目標であった。けれど、悪天候やアクシデントに見舞われかなり出遅れていた。ロンドンではハーンドンが親類のところにいって6時間経っても戻らないことがあった。シベリアのハバロフスクへ向かう途中、進路を失ってディーガリに不時着するなどし、漸くハバロフスクに到着した時は激しい雨のため車輪がぬかるみにはまってしまった。車輪を泥から脱出させたとき、第一陣よりも27時間以上も遅れていて、世界一周早回り記録は断念せざるをえなかった。
 
そんなとき、日本の朝日新聞が太平洋無着陸横断を初めて成功させた者に懸賞金を払うという情報が入る。二人は目的を変更し、アメリカ大使館などに日本への着陸許可の手配を依頼した。しかしながら、8月6日、その連絡を待ちきれずに日本へ向けて出立する。
  
飛行は快調であった。二人は日本の美しい景色に感嘆し、多くの写真を撮り立川飛行場に着陸する。しかしこの時点で二人の飛行許可は出ておらず、警察と憲兵隊の取り調べを受けることになる。
 
 
1931年といえば、アメリカではエンパイアステートビルが建った年である。
日本では、陸軍の一部が内閣転覆のクーデターを企てたりするなど、軍部の力が増していた頃で、9月18日には満州事変が起こっている。
そんなときに不法入国した若者が撮影した写真に要塞地帯が写っていた。よって、二人の罪状は、①不法入国、②航空法違反、③要塞地帯法違反の3点で、これにより二人はホテルに拘束された。
 
その間、在日アメリカ大使に援助を要請したがとりあってもらえず、直接米本国の上院議員を通じてワシントンの日本大使館に取りなしてもらうよう依頼した。
しかし、日本国内の世論はどちらかといえば強硬論が多かった。
 
8月15日、1名2,050円(1,025ドル)の罰金刑に処せられた。同時に機体は立川の格納庫に収容、封印されてしまった。
 

太平洋横断飛行の許可申請

二人はハーンドンの母親から送金された金で罰金を納め、8月31日付で正式に朝日新聞の懸賞に応募した。同時に太平洋横断飛行許可を航空局に出願したが、罰金刑に処せられた二人に世論はなお厳しく、なかなか許可が下りなかった。 
 
ハーンドンはニューヨークの母を通じて米本国政府に依頼し、米大使館を通じて日本政府に働きかけてもらった。そんな時、大西洋無着陸横断を成し遂げたリンドバーグ夫妻が日本を訪れていた。リンドバーグも二人が太平洋無着陸横断に挑戦できるよう働きかけてくれた。
 
そしてようやく、同年9月19日、条件付きで横断飛行の許可が下りた。条件とは「機体の改造は不可」「二度と日本へは戻らない」そして「離陸は1回限り」であった。
しかし、アメリカ西海岸まで4,500マイルを無着陸で飛行するためには、燃料タンクの増設は必須である。彼らはごく限られた米国の友人たちの手を借りて、立川の格納庫で秘密裏に改造を行った。
 

競争相手

太平洋無着陸横断飛行に挑戦していたのは、彼らだけではなかった。
最初に挑戦した二人のうちの一人は世界一周早周りで記録を達成したパイロットのゲッティ(測量が得意)であった。前年の1930年8月30日、ブロムリーとゲッティは霞ヶ浦の飛行場から飛び立とうとしたが、燃料をたくさん積み込んでいるためなかなか離陸できず、危険なため燃料を捨ててようやく飛び上がることができた。もっと長い滑走路が必要であった。
 
そこで、候補に挙がったのが三沢の淋代海岸である。これには新渡戸稲造の親戚である軍人の意見があったという。
そしてこの淋代海岸から先に許可の下りたモイルとアレンが飛び立った。バングドーンらはこれを複雑な思いで見ていた。そしてその二人の消息が一時途絶えた。燃料から考えて挑戦は失敗したことは明らかだった。
 

着陸に成功

淋代海岸を無事離陸したミス・ビードルは、太平洋沿岸時間の5日午前1時カナダのバンクーバー島の標識灯を確認した。そして着陸予定のアメリカのスポケーンへと向かうが、霧が深くて着陸できない。西のパスコも厚い雲に覆われて着陸できなかった。そこでパングドーンは母親や兄弟がいるウェナッチーに降り立つことにした。ただ、問題は飛び立った直後に車輪を捨ててしまっていたため、胴体着陸をしなければならないことであった。
 
着陸時にプロペラが地面に突き刺さるのを避けるために水平になるようエンジンを停止させるつもりであったが、垂直に止まってしまった。そんな中、パングドーンは機体の前を浮かせながら、機体の損傷を最小限に抑えて着陸を成功させた。41時間13分をかけた快挙であった。
 

秘策

二人の挑戦が成功したのは多分に運が良かったということが挙げられるだろう。しかしながら、離陸後、問題なく太平洋を横断したかのようにみえるが、実は様々な工夫があった。先に述べた車輪を捨てたこともできるだけ軽量化を測る目的で、その軽量化により速度は時速15マイル早くなり、40時間飛べば600マイル相当の距離を稼げると計算している。
 
また、従来長距離飛行する際は、低空飛行して波頭を見て位置を確認していたが、パングボーンは可能な限り高度を維持して飛んだ。霧や雲によるエンジントラブルが起こる可能性が少ないと考えたのである。また、天候の影響によって進路を変える必要がなかったため、進路を誤らずに済んだのである。
 
(出典:三沢市HP)
 

りんごの友好

二人が飛び立つ前、前村長の長男の嫁がサンドウィッチやリンゴ20個などを差し入れた。
ウェナッチーについた際、5個のリンゴが残されていた。そのリンゴをパングドーンの母親から貰い受けたウェナッチー商工会議所はアルコールに漬けて保存していたそうである。
 
同年11月、ウェナッチー商工会議所から三沢市にウェナッチー産のリンゴ、リチャード・デリシャスが送られたのであるが、植物防疫法(輸出入植物取締法)のため、上陸することができず、かわりに穂木をもらうことにした。その後その穂木から苗木が作られ一時は青森県内に広く普及した。
 
そして現在、三沢市とウェナッチー市とは姉妹都市の関係を築き、友好関係にある。淋代海岸には「ミス・ビードル号記念広場」が整備され、原寸大のミス・ビードルの模型が展示されている。櫓も建てられており、海岸線を一望にすることができる。
なお、2011年3月11日の東日本大震災による津波で大きな被害を受けたが、現在は綺麗に修復されている。
 
 
 
 
以上の記事は、三沢国際クラブのHP(http://misawajp.com/vindex.html)および
を参考にさせていただきました。
 
 

所在地と周辺の観光スポット

所在地

 

周辺の観光スポット

◯青森県立三沢航空科学館

青森県三沢市大字三沢字北山158
TEL:0176-50-7777
開館時間:9:00〜17:00(最終入館16:30)

 
◯寺山修司記念館
青森県三沢市大字三沢字淋代平116-2955
TEL:0176-59-3434 FAX:0176-59-3440

開館時間:9:00〜17:00 (入館は16:30まで)

休館日:毎週月曜日(祝日の場合は翌日)/年末年始(12月29日〜翌年1月3日)
※例年、8月3週目まで月曜日も開館(2019年7月17日水曜~8月25日日曜は連続開館)

www.terayamaworld.com

 

◯道の駅みさわ斗南藩記念観光村・先人記念館

青森県三沢市谷地頭4丁目298-652
TEL:0176-59-3009 FAX:0176-59-3045
開館時間:4月~10月まで 9:00~17:00(入場は30分前まで)
     11月~3月まで 9:00~16:00(入場は30分前まで)

kite-misawa.com

 

 

終わりに

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

本州の北の端でこんなドラマチックな出来事があったなんてこれまで知りませんでした。

 

彼らの成功は、勇気と緻密な計画、そして運が味方したのですね。けれどその運を手繰り寄せる努力をしたことも大きかったと思います。

 

そして、お坊っちゃま風のハーンドンですが、お金とコネをしっかり利用していて流石です。ふたりの個性がうまく結びついたゆえの成功ですね。

 

もっと詳しく知りたい方は、こちらのホームページに詳しく書かれていますので、どうぞご覧ください。

 

三沢国際クラブのHP
人類最初の太平洋無着陸横断の記録
青い森の片隅からのHP
 

旅の途中で気になったところをこうやって後から調べてみるのも楽しいですね。

 

では、このへんで。