5月9日(木)、晴れ 仙台市から石巻市 65.24キロ
今日は多賀城跡、末の松山、沖の石、塩釜神社、松島と見所満載です。
芭蕉はここ仙台で歌枕をめぐる旅をしています。歌枕のことはよく知りませんが、芭蕉の跡を辿ります。
まずは多賀城跡から。ここは地名にもなっていますね。奈良時代、先住民の蝦夷攻略のために建てられた軍事基地件お役所。いやー、しかしこの辺り、道が細かく入り組んでいて、なかなかナビ通りに走れずウロウロしてしまいます。
そうしていると、すごい急坂を登ることになりました。もう自転車を押すのも大変。サンダルのかかとのベルト部分が後ろに引っ張られます。
そうして公園みたいなところに来たので止まって確認すると、そこが多賀城跡でした。自転車を停めて上がっていくと、そこに芭蕉も見たという石碑、歌枕「壺の碑」がありました。現在は覆堂の中にありますが、格子窓から中をのぞけます。奈良時代に掘られた文字とは思えないくらいにくっきりと見えます。
そこから道を隔てた丘の上に政庁跡があります。だんだんと増築していったようですが、場所は変わっていないと解説板に書いてあります。
帰り際、下から登ってくる人がいます。少し足が悪いように見えます。話をすると、実家のあるこちらにときどき来ているそうです。「ここははとてもいいところですね」と言うと、「今、多賀城南門の復元工事をしているんですよ」といって、整備された階段の下の方を杖で差しました。本来はさらにまっすぐな道が伸びていたんですね。
続いて末の松山に向かいます。せまい住宅の間を抜けていくと末の松山の駐車場を発見。探しながら進むと、なんと沖の石を見つけました。小さな池にある普通の石でした。そこからほんのわずか住宅の間を進むと、坂の途中に末の松山はありました。松山といってもただ松が二本植わっているだけ。石標がなければわかりません。
まあ、末の松山も沖の石も江戸時代になって仙台藩が「ここがそれ」と決めたものらしいので、実際にははっきりとしたものではないのかも知れません。おそらく都びとの想像が膨らんだ、それぞれの読み手が空想した場所なんだと思います。
そんなことを考えながら塩釜神社に向かいます。
狭い道から少し大きな通りを走っていると、大型の乗用車に幅寄せされてヒヤッとしました。走り去る車を見るとシルバーマーク。気を引き締めていこうと思いました。
そろそろ昼ごはんにしようと食堂を探していたら、小学生が「日本一周ガンバッテー」と声援をくれました。力が出ます。手を振ってそれに答えました。
野菜炒めを食べて元気がでたので塩釜神社に向かいます。
坂の下の方の参道入り口に自転車を停め、参詣に向かいます。なんだか登山をしているようです。すると立派な社殿が現れました。参拝後、こんどは階段の参道を下ります。どうやらこっちが正面のようです。
通りにでて、自転車を停めたところに向かって下って行くと、津波の到達点の標識がありました。東日本大震災のときのものです。仙台市内は被害が小さかったと記憶していましたが、こういうものを見ると当時は大変だっただろうことが想像できます。
松島は今回で3回目。前に寄らなかった雄島に行ってみました。そこは朱塗りの小さな橋で結ばれています。こういう人の少ないところは探検をしているようで楽しいです。
そして今日の目的地、石巻に到着です。最後に目指す公園までの坂道が辛い。けれど、寝ぐらにしたところは、芭蕉も訪れていたということがわかり、ラッキーでした。
では、このへんで。
今日は写真多めです!
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