下北沢の小劇場「楽園」に観劇に行ってきた。
芝居屋風雷紡の舞台。
風雷紡の舞台は2度目。
前回は赤軍ハイジャック事件を扱ったもの。
そして今回は、御山参り。
炎天下の下北沢でひんやりする劇場へ
8月、日曜の昼下がり。暑い。
この日の舞台は午後2時から。そして千秋楽の舞台である。
開場は30分前。できるだけ外で並びたくないので昼食をのんびりとってちょうど30分前に到着するようにいった。
到着は2分前で、予想通りすでに20名くらいが並んでいた。
幸い列は日陰になっていたので助かった。
時間になって中に入るとひんやりするくらい冷房が効いていた。
今日の演劇のテーマは「姥捨て」。
このテーマなら寒いくらいがちょうど良い。
「ゴシック」ってなんだ?
今回の演題は「ゴシック」。
さて、ゴシックってどう言う意味なんだ?
安易にネット検索してみると、次の様に解説してくれているブログを見つけた。
それをちょっとお借りすると、
「闇、死、廃墟、神秘的、異端的、退廃的、黒というイメージと関連して使われています。」とのこと。
「ゴシック」ってにゃに? 建築、文学、美術、書体そしてゴスロリ|しじみ |デザインを語るひとより
この解釈が今回のテーマにはぴったりするかな。
実際、内容は姥捨てをテーマにして、誰にも知られない場所で起こった事件とそこに蠢くどろどろした人間の業(ごう)を描いたサスペンスなのであった。
ストーリーを簡単に
まず、パンフレットの宣伝文句から。
高い高い山に囲まれた、時代に取り残された村。
村にはある風習があった。
「仕事」を終えた女は冬が来る前に「御山」に入る。
村にはある言い伝えがあった。
「御山」には、捨てられた女たちが美しいまま
いつまでも幸せに暮らす楼閣がある。
その村の風習を、言い伝えを、余所者たちはこう呼んだ。
「姥捨て」
いつまでも変わらぬ封建的男社会で、
生きづらさを抱えてそれでも日々を生きる女性たちへ。
この夏、風雷紡が贈る、革命的とも言える新作ゴシックフォークロア。
時代は明治。
御厨家家当主絹は60歳を迎え、御山参りに行く決心をする。
絹は、村で評判の美人だった母の御山参りの供をした経験がある。
母を置いて帰る時、振り返ると母が何か言っている。その言葉が聞き取れず、以後ずっとそのことが気になっていた。
息子には妻がいたが、すでに亡くなっていた。そして後妻が子を連れてやってくる。
分家である絹の息子の妹糸は余所者が入ってくることをひどく忌み嫌っていた。この糸の夫と長男も事故で亡くしており、次男が軍隊から呼び寄せられていた。
絹には紬と繭というふたりの孫がいた。繭は精神に障害があった。ふたりは兄さんができたことをとても喜んだ。
いよいよ御山参りにいく前日、絹は家族と呼び寄せた分家を集めて御山に入ることを宣言する。御山には孫の繭も一緒に連れて行くと言う。供は紬に頼んだ。
絹の宣言を聞いて皆は動揺し、息子は「もう明治になって新しい時代になったのだから、そんな風習はもうやめるべきだ」という。
その後、後の妻は連れてきた息子に言う。「この村には年老いた女がいない。それに病人や弱った人も見かけない。おかしいと思いませんか」。
集まった孫同士が話し合い、みなが供になって御山に入り、そこから繭を連れて帰る計画を立てる。糸の次男は父と兄が事故で亡くなったことに疑いを持ち、真実を知りたいという思いで御山に入る。
翌日、御山への入口である鳥居をみなで潜る。
七曲まではひとことも話をしてはならない。そしてその先に待っているのは六道(りくどう)。地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道を潜り抜けていく。そしてこの六道を通るごとにそれぞれの人間の本性が露になっていく。
その時繭は、依子(よりこ)となって神の霊が依り憑いていた。
そこでさまざまなことが露わになっていく。
絹の息子の妻や糸の夫や長男が亡くなったのは、本家の当主になりたかった糸のひがみや欲望が起こした出来事だった。
やがて絹は、「嫁殺し」を飲んで永遠の国に旅立つ。糸も後妻の連れ子も御山で命を落とす。紬、繭、糸の次男の3人は無事に帰ってくることができた。
「バロック」を鑑賞して
全体として感じたのは横溝正史の世界みたいだということ。
誰も見ていないところで起こった殺人を事故として処理し、「嫁殺し」を食べ物に混ぜた殺人、これらがすべてひがみや欲望から引き起こされたという設定。
しかし、そこには貧しい村で口減しのために行われていた「姥捨て」があり、それがどうして女だけに行われたのか。
繭は淘汰されるべき人間なのか。そもそも繭は血族の血が濃くなりすぎたために引き起こされた犠牲者ではないのか。
新しい時代に変わるときは、昔の好ましくない風習を考え直す時なのではないのか。
お芝居を見ながらこうしたことを考えさせてくれた。
役者さんはみな演技がうまく、さらに役に入り込んでいることが見ていてよくわかった。そしてなにより、脚本がとてもよくできていて、演出もよかった。
前回のハイジャックのお芝居の時は、天から俯瞰して見ている様な気がしたが、今回は暗く大きな洞窟の壁となってそこからスポットライトに照らされた御厨家一族の物語を見ている様だった。
最後に、一番怖かったのは人の性が露わになっていく六道を通る場面であった。
では、このへんで
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