(出典:大正・昭和のモダニスト 蕗谷虹児展)
平塚市美術館では、現在、蕗谷虹児展が開催されている。
11月24日(日)までなので慌てて見に行って来た。
蕗谷虹児の作品
蕗谷虹児は1898年に新潟で生まれ、80年の生涯を閉じるまでに多くの少女雑誌の表紙や挿絵を残した。
戦時中、山北町に疎開し、10年ほどそこで過ごしたということで、神奈川県ともゆかりがあるので、平塚市で今回の展覧会が開催されたのだろう。
なお、幼少期を過ごした新潟県新発田市には記念館があるそうだ。
さて、これまでこの蕗谷虹児(ふきやこうじ)という名前を恥ずかしながら知らなかった。しかし、描かれた少女の眼差しは知っていた。記憶していた。そう、とても懐かしいものを感じたのだった。
しかしながら、竹久夢二のような大正を感じさせる絵ももちろんあるが、今見ても古臭さを感じさせないものも描いている。それはとくにインクで描かれた絵について言える。
おそらく、現代の若者がこのような絵を見ても大正・昭和に活躍した画家が描いたものだとは思えないのではないだろうか。
今回の展示では、455点の作品(印刷物を含む)が展示されている。大きく分けると、少女雑誌の表紙や口絵として描かれた少女の絵の原画、おもにインクと墨で描かれた文学作品の挿絵、童話の挿絵、絵画とに分かれる。
その中で少女雑誌の表紙や口絵の作品が半数以上を占める。特にモダンな洋服に身を包んでいる作品は、少女たちが憧れるファッションだったに違いない。
蕗谷氏が活躍した雑誌は、「少女画報」「令女界」「令小女」「少女倶楽部」「主婦の友」などで、読者層に合わせてモデルの年齢も異なっていた。モデルの年齢に合わせて顔の描き方を変え、全体の雰囲気までもが変化している。こうした描き分けが実にうまいと感じた。その観察力の鋭さというものを感じた。
そして、人物だけでなくその背景も緻密で一切の手抜きを感じられなかった。それがよくわかるのはインク絵で、背景まで実に丁寧に描かれていた。ぼんやりとした人の影は細かい線が等間隔にちょうど良い間隔で描かれていて、少し離れて見るとそれがふわっとした影に見える。こうしたことからも一枚一枚に愛情を込めて描いているだろうことが想像できた。
名前は知らなくとも
先の大戦に突入すると、少女を描く絵の需要がなくなる。
そこで活躍の場を見つけたのが童話の挿絵だった。
おそらく、65歳くらいより上の人なら子供の頃に見たことがあることだろう。一寸法師の絵はぼくも見覚えがあった。どこかやさしさを感じる絵だ。
記憶にはないが、他の絵本もきっと見たことがあるに違いない。
やはりこの画家は本や雑誌にかかわる天性の才能があったと思わざるを得ない。
ただ、童話や絵本に描く絵はどうしても内容からあまり離れられない。ドキッとするようなインパクトのある絵は描けない。
だから特に強く印象に残ったのは、雑誌の表紙絵や口絵だった。
最後に
今回の作品を見て、ぼくが心に残ったのはインクで描かれた作品だ。
こうした作品を見て頭に浮かんだのがイギリスの挿絵画家、ビアズリーだ。
ビアズリーはサロメのドキッとするような挿絵で有名である。
ビアズリーを帰ってから検索してみると、亡くなった年が1898年。なんとこの年に蕗谷虹児が生まれている。
二人に共通するのは細部にまでこだわる点である。ビアズリーの絵も偏執狂的に緻密に描かれている。
しかしながら、省略するところは省略してそのコントラストに力強さを感じる。
そうしたコントラストの強さが心にグッと迫ってきて、それに対比してやわらかいタッチの彩色画がバランスを整えてくれた。
では、このへんで
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