Hakuto-日記

定年後を楽しく、生きたい人生を生きる!

登り初めはいつもの大山 【山頂は大賑わい】

 

我が山と言いたいくらいの山、それが大山である。

伊勢原市と厚木市、そして秦野市にまたがる山で「おおやま」と読む。

わが山と言いたいのは、中学校の集団登山で登った山であり、その後の山登りのきっかけとなった山だからである。

ただ、偉そうにいってもまだ10回程度しか登っていないと思う。

中腹の阿夫利神社下社までを加えても20回程度だと思う。

けれど、ケーブルカーを使ったのは数回のみだ。

そんな大山に気持ちを新たに登ってきた。

日本百名山への挑戦を始めてからは初めてとなり、今年初の登山である。

 

晴天続きの正月

今年の正月はよく晴れた。

元旦は大晦日からキャンプをしていて快晴。

2日は夕方御下がりが少しあったが、やはりいい天気で相模国一宮(寒川神社)に初詣に行ってきた。

そして3日は初登山。登り初めである。

ことしの目標はたくさん山に登ること。

 

朝8時過ぎの気温は2度。バイクでは寒気が身に沁みる。

幸い大山第一駐車場までは40分程度で到着。

Googleマップで新しくできた道をナビしてくれたのはすごい。

だが、何度も来ているのでナビを見ずに昔の道を登っていった。

 

バスの終点ではたくさんの登山客がバスを降りてきた。

こま参道は、行列とまでは行かないが賑やかである。

参道の両脇にある土産物屋は昔懐かしい店構えで中学の時にみた覚えのある店もある。

扱っている商品も懐かしいおもちゃが売られていたり、大山名物のコマもある。

子供の頃、コマといえばこの大山コマが普通のコマだった。6年のときに横浜に転校した時、コマの芯が鉄だったのに驚いた。

それまで知っていたのは芯が木の大山ごまとベーゴマだけだった。

そんなことを思いながらこま参道を登っていく。

 

すると、その中にモダンな店構えの店が現れた。これも時代の流れか。昭和の時代が生きているのも味わいがあってよいとは思うのだが。

 

 

ケーブルカー乗り場をやり過ごして少しいくと、男坂と女坂の分かれる場所に思兼(おもいかね)の名を冠した神社がある。「八意思兼(やごころおもいかね)神社」という。この名には昨年気がついた。

思兼とは、ウィキペディアから引用すると

天の安原に集まった八百万の神に天照大御神を岩戸の外に出すための知恵を授けたこととされている

という知恵のある神様である。

 

 

新しい発見

ここから男坂を登る。

境内から男坂の階段を仰ぎ見るとまるで壁のようである。ここを下る時はとくに気をつけなければならない。落ちたら下まで真っ逆さまだ。だから、男坂は登り専用にしている。当然下りは女坂となる。


ここから阿夫利神社下社までは約40分。下社下の茶店でもやはり現代風の店に一部変わっている。しかし、こうしたところで団子や何かを食べるのは楽しいものである。

そこから石段を登ると本殿があり、その前に茅の輪が建てられていた。

そこには、「新玉の年のはじめにくぐる輪は 千歳の命 のぶと言うなり」と書かれている。

この輪を潜って無病息災を願う。

日陰では霜がまだ白く残っていた。上を見れば青空が広がっている。

 

今回も新しい発見をした。

いままでどうして気が付かなかったのかと言われそうだが。

今回発見したのは、本殿脇にある小さな神社。そこには浅間社とあり、その両脇には木花咲耶姫と磐長姫の名が。

 

説明書きを読めば、木花咲耶姫と磐長姫の父が大山祇大神(おおやまつみのおおかみ)ということで、大山に登れば富士に登れと言われているのは、親子の関係であることからであることが書かれていた。

なるほど、阿夫利神社の御祭神は大山祇大神で、浅間社の御祭神は木花咲耶姫と磐長姫ということか。

今年もまたひとつ賢くなった。

この下社脇で初穂料を払って自らお祓いをして安全登山を祈願した。

 

 

山頂へ

 

長くて急な階段を登って上社のある山頂に向かう。

登山者の格好はまちまちで、本格的な登山の装備をしているものから普通の街の格好のものまで様々である。

下のみやげ物屋で売っている木製の杖を持っている若者などもいて微笑ましい。

 

幸い、下はぬかるんでいなくて歩きやすい。また、数日前には下から白く見えた雪も全く残っていなかった。

 

今回の登山で改めて認識したのは、日本百名山を登っていて比較をしていたのはこの大山が基準となっていたことである。

そして、この山がほんとうに急な山であることも再認識した。だから修験道で登られる山であったのだ。けれど、人気があったためだろう、大山講などができて大勢の人が登ったので道は整備され、歩きやすくなった。

そのおかげで街中の格好でも登ることができる。危険なのであまり良いことではないけれど。


頂上に近づいてくると、部分的に行列ができる。高校男子の集団が端を通って追い抜いていく。若い。けれど結構滑っていた。

他の山では若い人は少ないけれど、正月のこの山では多く見かけた。これはいいことだ。「若者よ、外へ出よ。山を登ろう」と言いたい気分だ。

 

若いといえば、3、4歳くらいの子供が母親と頑張って登っていた。

「頂上はもうすぐだね」とか「大山は高いね」など大人のような口ぶり。

母親の靴紐が解けてしまったときは、「先に行くね」。

思わず心の中で「えっ」と思った。当然母親もびっくりしていたが、本当に一人で歩いていった。

母は急いで靴紐を締め直し、すぐに追いついたけれど。

 

 

山頂は大賑わい

頂上に着くと、大勢の人で賑わっていた。

昼時なのでどこでも弁当を広げたり、ガスバーナーでお湯を沸かしてカップ麺を作って食べたりしていた。

テーブルの隅では、7、8人の集団が酒盛りをしていた。じつに楽しそうである。

今まで日が差して暖かかったが、急に雲が太陽を覆い隠した。すると途端に冷えてきて、あちこちから「寒い」という声が聞こえてきた。

本当に寒い。これで風があったら大変だ。

 

ぼくの昼飯は、玄米おにぎりとアルコールストーブで沸かした味噌汁。フリーズドライの味噌汁はとても美味しい。あったいものはなおさらだ。

それから大山山頂にはトイレがある。これもありがたい。

このトイレも女性の方は列を成していた。

先ほどの酒盛りのグループのなかの女性はしばらく帰ってこなかった。

背の高い外人が藪の中にアンテナを立て、無線か何かをやり出したり皆思い思いに過ごしている。

ただ、寒さのために社の中に避難したと思われる人たちにはちょっと驚いた。

数人が参拝に訪れたときには外に出てくれたけれど。

 

 

最後に

こうしていつもの大山に登ってきた。

帰りに団子でも食べようと思っていたけれど、玄米おにぎりの腹持ちが良くて、結局そのまま下山してしまった。

ただ、帰りのこま参道ではこんにゃくを買い、駐車場近くの酒屋で梅酒を買った。

梅酒は家内へのおみやげだ。

家内は現在左腕を骨折中。

 

では、このへんで

 

 

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