せっかくの連休。泊まりで登山したい。
しかし、あまりメジャーすぎる山は混雑しそうだ。
そして出来れば日本百名山を2座は登りたい。
そうした欲張りな希望を叶えてくれる山があった。金峰山と瑞垣山である。
今回は金峰山に登頂するまで。
コース選定について
日本百名山に登ろうと思って買ったガイドブックがある。「日本百名山 山あるきガイド」(JTBパブリッシング アウトドア編集部)である。
この本をパラパラとめくってみた(残念ながら電子書籍なのでこういう芸当はできないため、タブレットでスワイプ)。
しかし、百名山を1座1座コースとともに紹介しているため、まとめて登るようには編集されていない。
だからなかなかうまいコースが見つけられなかった。
しかし、コース地図を見ていたら金峰山と瑞垣山が近いことに気づく。
そこでネットで調べると、瑞垣山荘を登山口とすればどちらの山にも登れることがわかった。
ガイドブックのコースタイムを見てみると、その分岐点の富士見平小屋をベースにするとそれぞれの山に往復できる。つまりは富士見平にテントを張ったままにして軽い荷で歩くことができるというわけである。
こうした計画を仕事帰りに練っていたのでなかなか準備がすすまない。結局、前日の夜に皺寄せが来た。
持っていく荷物をザックに詰め、国土地理院のサイトから地図をダウンロードして印刷。そこにガイドブックの地図からコースタイムなどを書き写す。
持っていきたいものをザックに詰めてみるとパンパンで、ウインドブレーカーやもう一枚シャツを入れたかったが諦めざるを得なかった。
レインウェアは必須なので、これをウインドブレーカー代わりにする。まあ、2日目は雨の予報なので雨ガッパで通してもないだろうと自分に言い聞かせる。
瑞垣山荘まで
瑞垣山荘ってどこ?
そもそも何県?
そうしたところからGoogleマップの検索が始めた。
検索して表示されたのはグリーンの画面に白い道が1本と、その真ん中にある建物の瑞垣山荘だけ。何度かクリックして引いた画面にしてようやく山梨県北杜市の文字があらわれた。
経路を検索すると我が家から158km、約4時間となっている。途中休憩を入れて5時間もあれば到着するだろう。
もちろんスーパーカブで行くのである。
示された経路は、246号線を通るコースと相模湖から甲州街道を通るコースの2コースで、どちらもほぼ同じ時間だった。
ここは、昔よく走った246コースで行くことにする。
須走から籠坂峠を越えて山中湖へ下り、河口湖を経由して御坂みちを通って石和から20号に入るコースである。
昔は車で走ったのだが、中央高速の大月あたりの渋滞を避けるため、御坂一宮ICで高速を乗り降りしてこの御坂みちを使っていた。
そして当日、準備に手間取り出発が10時40分。おまけに途中でコピーを取ったりしながらだったので、少々気持ちが急ていた。
瑞垣山荘の駐車場から、富士見平のテント場までは50分の登りなのである。だから3時には到着したい。けれど5時間かかるとしたら3時40分になる。
しかも出発後のコンビニで地図をコピーした。家にある印刷機はインクジェットなので、濡れたら一気にインクが流れる。よってトナー機のコピーをしたのである。
今回の反省でもあるのだが、心にゆとりは必要だ。そうでないとせっかくのアプローチツーリングが楽しめない。単なるアプローチとなってしまっては勿体無い。
出発の28日は曇りの天気でときどき薄日が差していた。登山する格好にダウンジャケットを着ていたのだが、日が差すとすこし暑いかと思うくらいだったのに、静岡県に入り小山から須走に登り始めると少し寒くなってきた。
ここは直線的に一気に登っていく長い道が続く。スーパーカブもひとたびスピードに乗れば、それほど喘がなくて登れるくらいの坂である。
けれど、登るほどに寒さが増してくる。
須走からの籠坂峠では外気温が表示されていて、さらに登るたびに気温が下がっていくのを知らされる。一番低いところでは6度と冬並であった。
山中湖へ降りていくと少しずつ気温が上がってホッとする。
山中湖から昔よく行った忍野への道を横目に直進する。忍野はテニスの合宿、冬の富士の写真撮影そして桂川の釣りと馴染みが深い。この時は自衛隊車両が忍野方面に向かっていった。
走っていると、河口湖大橋を通るように案内があってちょっと驚いた。有料道路を除外していたはずだったからである。
手前のコンビニで休憩し、スマホで調べるとすでに有料ではなくなっていて、それもなんと優良なのは2006年6月までとあった。
もうそれくらいこの辺りを通っていないのだった。
コンビニでカレーパンとコーヒーを買って椅子に座ろうとしたら、「そこは10%かかるんですけど」と店員さんに怒られてしまった。もうちょっと言い方があるよね。
河口湖大橋を初めて渡り、新御坂トンネルを抜けて20号に入る。
気温は一向に上がらず肌寒い中を走っていくと甲府に入った辺りから渋滞。渋滞の途中でコンビニのトイレを借りる。少々冷えた。
ナビとしてのGoogleマップの特性をまだ掴めておらず、目的の交差点が遠いときはそこまでの表示ではなく、手前の情報を知らせてくれているのに気づかなかった。
だから、かなり手前から右折する交差点まであとどのくらいなのかが気になって仕方がなかった。
ようやく曲がったところは幹線道路ではなかったので不安が募った。常に表示されているのは狭い範囲なので、周りの状況がよくわからない。ときどき広域の地図を見たいのだがやり方がわからない。
事前に走るルートを頭に入れておけばいいのだが、覚えておくのも難しい。
そうして走っているとなんだか見たことがある風景になった。北杜市明野町。確かひまわり畑を見に来たことがある。
けれど、今はひまわりの時期ではないのではっきりとはわからなかった。
また、ガソリンをいつ入れるかということでも不安を感じた。
満タンにしてから20キロ程度走っただけなので、そのまま出発してここまで無給油できた。それがこの辺りから急にメーターが半分以下に減少したのである。
スーパーカブのメーターは、満タンにすると針が目一杯ふれてなかなか動かない。その後も針はゆっくりしか動かない。
それが、中間のあたりでははっきりと動きがわかる。なんだか急にガソリンが減ってきたような動きなのである。
それなのにだんだんと山の中に向かっている。
最後と思われるスタンドを通過する時、いままでの経験からあと1.2リッターくらいは残っているだろうと思われた。だからあと70キロくらいは走れるはずだ。
ここは、時間を無駄にしないためにも一気に行ってしまおう。そう思って通り過ぎた。
そこで、走行距離を見ておけばよかったのだが、そこからが遠く感じられる。
そんな不安を抱えながら瑞垣山荘に到着したのである。15時35分であった。
富士見平でテントを張る
駐車場に到着すると5分で支度をととのえ、15時40分に急いで登り始める。
今回の日程を組むにあたり、やはり天気を考慮した。
今回の日程は4月28日(木)から30日(土)の2泊3日である。28日はたまたま仕事が休みだった。
天気は28日が曇りで29日が雨。30日は晴れるようだった。
すべてが晴れていることに越したことはないが、休日を使うとなると多少の雨は止むを得ない。しかし、テントを張る時に雨は降ってほしくない。
撤収の時も同様だ。それはテント内部や荷物が濡れてしまうためである。
だから、1日中テントを張っている2日目が雨ならなんとか我慢できる。
ちなみに5月1日(日)の予報は雨だった。
結果的に天気予報どおりとなった。
駐車場からの登り口には特に案内が見当たらなかったが、下山してくる人がいたので逆に歩いていった。
樹林帯の中は明るい針葉樹と広葉樹との混合林だ。丹沢のような植林ばかりの山と違い、木々がまばらに生えている。
しかし、丹沢同様雨で土が流れているのだろう、木の根が剥き出しになったり窪地が溝のようになっているところがあった。
登っていくと多くの下山する人たちとすれ違った。ゴールデンウィーク前だというのに人が多い。
時間が遅くなったこともあり、少々急いで登ったせいか息が上がる。それでも50分のコースを40分で歩き、16時20分に富士見平小屋に到着する。
ちょうど小屋番は留守で、テント場利用料は扉のポストに入れるよう張り紙がしてあった。そこに2日分の2千円を入れる。
テント場は結構広く、多くのテントを張るスペースがあったが、張られているのは10張り余しかなかった。
テントは以前紹介したアライテントで、実際に使うのは今回が初めてである。一度練習したので設営には問題がなかった。
土は柔らかく、近くに大きな石もたくさんあったので、それですんなりとペグを打ち付けられた。
テントを張り終え、銀マットを敷いてからスリーピングマットを膨らます。そこにシュラフを広げ、シュラフカバーの中に入れると寝床の完成だ。
まだ17時前だったが明るいうちに食事の用意をする。
今回は初めてモンベルのリゾッタを持ってきた。それにアマノフーズのフリーズドライの味噌汁だ。
初日はカレーリゾッタにした。湯沸かしはエバニューカップ400FDとその中に入れた固形燃料用チタンストーブ。それにアルミ缶で自作した風防。
約350mlの水をエスビットのタブレット2本(4g×2)で十分お湯が沸かせた。
リゾッタはお湯を入れて3分と実に早く食べられる。アルファ米だと15分かかる。カレーリゾッタの味はマイルドで刺激のある辛さはなかった。
食後にタブレット1本でお湯を沸かしてコーヒーを飲む。
そういえば食事の間、小屋番の人が動力のついた手押し車で何度も荷物を運び上げていた。後で聞いたところでは、この日が小屋開きだということであった。
長距離をツーリングしてきたこともあり、早々に寝床に入った。シュラフはダクロンの3シーズン用を持ってきている。最初は少し暑く感じられたくらいだったのが、夜中に冷え込んで少し寒く感じられた。それでも十分に睡眠が取れた。
金峰山をピストン
翌朝は4時に目が覚めるが、慌てる必要もないので少し明るくなってから起き上がった。
朝食はフリーズドライの雑炊にした。
ゆっくり準備を整え、寒さ対策と雨予報のためレインウェアを着た。そもそも防寒具はダウンジャケットとレインウェアだけしかない。
5時50分、いよいよ登り始める。昨日は明るいうちにテントを張り終えたいと、ともかく気が急いていた。しかし今日は、日本百名山に挑戦しようと決めてから初めて登る1座であることを噛みしめながら、一歩いっぽ歩いていった。
初めはガレ場の石のゴロゴロした道を登っていく。しばらく歩いて尾根道に出るが、そこからもしばらくはガレ道が続く。
昨夜はたくさん寝たはずなのに息が上がる。酸素が薄く感じる。少し頭痛もする。どうも高度順化できていないのではないかという気がした。
その後苔むした樹林帯を進むと、年老いて枯れた木が横たわっていたりして、原生林のような趣である。
横八丁と呼ばれるここの道は、なだらかかと思うと急な登りになったりして少しずつ高度を上げていく。
それでも大日小屋に6時50分に到着した。ただ、ここまでに一人に追い抜かされている。
大日小屋から大日岩までは縦八丁と呼ばれる。ただ、はじめは緩やかでその後200メートルを一気に登る。
大日小屋から大日岩までが30分。ここまでは標準タイムよりも10分早い。
大日岩の基部の鎖場の上に一人の若いお嬢さんが現れた。どうぞお先にと道を譲ってくれる。お言葉に甘えて先に鎖場を登らせてもらった。
そこから少し道を回り込んでいくと平坦な広い場所が現れる。そこが小川山への分岐だった。
少しそちらの大日岩の方に行ってみると、岩の周りには木がないために明るい。そしてちょうど日が差して遠く山々が雲の上に見えた(山名は不明)。
そして、ここからが大変だった。少しずつ登山道に残雪が現れ始め、だんだん雪が多くなる。それに急坂である。
アイゼンなど持っていないので、ともかく行けるところまで行ってみようと思う。
その後すれ違った人を見るとアイゼンをつけていない。それでおそらく大丈夫だろうと思った。
こうした残雪と、息を整えることを繰り返していてかなり速度はゆっくりになった(そして写真もほとんど撮っていない)。
あたりはだんだん高山帯の様相に変化してきて、砂払ノ頭からはハイマツの尾根道になった。
次第に天気も悪くなって南からガスが噴き上げてくる。そう、ここは千代の吹上と呼ばれるところだ。
ここで一人の男性とすれ違い挨拶を交わす。「雪が多いので気をつけて」というと、「ピストンなので戻るところです」とのこと。「速いですね」と言葉を返す。
その先で岩に腰掛け一息入れていると、その男性が戻ってきた。
「落とし物ですか」と聞くと、スマホを落としたという。しばらくして再び向こうからやって来たので「見つかりましたか」と訊くと、「見つからないのでもう一度戻りながら探してみます」といって去っていった。
山でスマホを落とすと見つけるのは厳しそうだ。なんとか見つかってくれていたらいいのだけれど。
その後の道は、稜線では南側からの強い風、北側の稜線下の岩場には雪がたくさん残っていて苦戦しながら前に進んでいった。
そうこうして進んでいくと大きな岩とその前の広い場所に到着した。そこに金峰山の標柱が立っていた。
そこからさらに5分ほどのところに小さなピークがある。
金峰山山頂に到着したのが10時15分。2時間のコースに約3時間かかったことになる。
この山頂でも北面は風がなく穏やかだったが、南面はひどい風でさらに細かい雲の粒がメガネに当たって濡れた。
つづく。
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