今年もまた句会を開くことができた。
今年初めての句会、「初句会」だ。
昨年恩師が亡くなって初めての初句会でもある。
一昨日大雪に見舞われて名残りのあるなか、空澄み渡る天気になった。
再びコロナ感染が広がる中でいつまた開けなくなるかもしれないと、今日の初句会を愛おしみながらもいつもと変わりなく淡々と会は進行した。何事もないことのありがたさを噛み締めながら。
初句会にめでたいお菓子
ぼくの所属する句会は女性が多い。
ほぼ全員が病院関係者で、交流分析でいうとNPが強い。NPとはナーチャリング・ペアレント(養育的な親)のことで優しさや思いやりのある母親的な心の持ち主である。
だから細かいところにまで心配りができる。
今日の初句会には、それぞれがおみやげを持ち寄ってくれた(句会として用意することもある)。そしていつもの通り、句座の真ん中にはメンバーの庭で取ってきた花や野に咲いている草花を飾ってくれる。
今日の花は・・・ そういえば写真を撮るのを忘れた。確かに花はあった。思い出せない。
しかし、出句された句にも登場していたので万両と千両は確かにあった。
そしてお菓子の方はというと、すぐに2つ食べてしまったがそのひとつは「花びら餅」というもの。
中にごぼうがはいっているという不思議な和菓子だ。上品な白餡にごぼうの味と食感のアクセントが小気味良く響き合っている。
もうひとつのほうは川崎大師にちなんだお菓子で「来福焼き」という。
こちらはふんわり軽い生地に餡子が包まれていて、食感もふわっと軽い。
持ち帰ったのは、口福堂の磯部焼「がぶり」という煎餅と、「賀正」という最中。
実は最初にこの最中を食べようとして箱を開けたところ、なんと最中を自分で作るキットとなっていたのでやめたのである。
キットとは珍しい。皮と餡子が別包装で、自分で餡を詰めて貼り合わせるようになっている。
販売者は先の来福焼きのスエヒロなのだが、製造所は石川県金沢市で、皮の方は加賀種食品工業、餡のほうは沖製あんと裏に書いてある。
この加賀種食品工業のHPをみてちょっとびっくりした。
それは、最中の皮などお菓子の種と呼ばれるものの製造専門会社なのである。
HPを開くと動画が流れ、工場の様子がよくわかる。いままでこうした種専門の会社があるなんてことを知らなかった。
「賀正」という最中の皮、獅子の顔がとても良くできている。たしかに小さな和菓子店がこうした型を作って少量生産するのでは高くついてしまうだろう。
ちょっと初句会とは離れてしまったが、いずれも新年にふさわしいお菓子だった。
恩師を偲びながら
昨年、我らが句会の指導者だった坊城中子先生が亡くなられ、師を偲ぶ句が多数出句された。
そのなかで特選になったのは、中子先生とその夫君のとしあつ先生を偲ぶ句だった。初句会に中子師ととしあつ師を「偲ぶ」と言っただけなのに、お二人が揃って賑やかだった頃を思い出させてくれるのである。
言葉はシンプルで語る内容は豊富な素晴らしい句だった。
そのほか、うまいなあと思ったのは、坂道を登った先にお寺があり、我が句会の中心的存在だった方の墓がある。その墓に行く途中の坂に雪がないという句だ。
坂に雪がない、ということは墓は雪に覆われていたということだ。「ない」といって「ある」ことを語る。実にうまい。
今日のぼくは、いつもだいたい2句程度しか先生に選ばれないところを5句も選ばれた。そのかわり特選はなし。
しかし、みなで集まって句会ができたことがうれしかった。
寄り合へることのよろこび初句会 白陶
最後に
会場のある向ヶ丘遊園駅北口前はいま再開発が進んでいて、商店街の店がなくなり更地になっている。
南口側ではだいぶ昔に向ヶ丘遊園地が閉園となり、モノレールが廃止。病院まで無くなって寂れていくのかと思いきや、隣駅の登戸駅周辺から向ヶ丘遊園駅の北側にかけてゆっくりと再開発が進んできた。
向ヶ丘遊園地跡の再開発も進んでいるとのこと。
こうしてますます便利で住みやすい場所となるのだろう。
ただ、昔の宿場町だった面影はもうほとんど見られなくなっているのが何だか寂しい。
せめてお願いしたいのは、地名だけは安易に変更しないでほしい。多くの地名は遠く飛鳥時代に付けられたものだという。
そしてその多くはその土地の地形などから付けられている。
それを単に便利だとかオシャレだとかいう理由で変えていいはずがない。
地名も文化の一つなんだと思う。
では、このへんで
|
広告