Hakuto-日記

定年後を楽しく、生きたい人生を生きる!

一年を振り返って 【自炊を始めて1年】

昨年の12月25日に実家に戻ってきた。
 
といっても実家から離れていたのは2年と少し。
 
けれど、生活はガラッと変わった。
 
まず、息子と二人の共同生活になったこと。
 
そして、自炊をするようになったこと。
 
そんな1年を振り返ってみたい。

実家に戻る前のこと

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実家に息子の一人を残してしばらく隣町に住むことになった。
 
定年間際のことである。
 
新しい通勤経路にもなれた頃、定年退職を迎えた。
 
1か月ほどおいて、自転車日本一周の旅に出かける。
 
ところが1ヶ月ほど走ったところで転倒し骨折。
 
3ヶ月ほど家に戻って療養し、中断した場所から旅を再開する。
 
旅を終えたのが新型コロナ感染が日本でも始まった頃の2月中旬。だからその家には2年も住んでいない。
 
旅の後は自粛生活で、その間に旅の整理をする。旅をしながらフェイスブックに投稿した旅のレポートを基にブログを公開。
 
旅をしながらブログを書こうと思って事前に開設しておいたが、旅の間は結構忙しくてフェイスブックに絞ったのである。だからブログをちゃんと始めたのは旅が終わってからになった。
 
 

ブログを書くこと

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元ネタがあっても記事をまとめるのは大変だった。
 
だいたい6時間くらいはかかっていた。
 
ゆっくり起きてブログを書き上げてアップするともう夕方。それから散歩をするのが日課という日が続く。
 
ブログを本格的に始めた頃、読者数を12月までに100人にする目標を立てた。そのために他の方のブログを読んで、面白いと思った記事には星をつけたり、また続けて読みたいときは読者になった。
 
そうして暮れには読者数が99人となる。
 
あと一人で目標達成というところで読者獲得活動をやめ、あとは成り行きに任せることにした。
 
その頃には自転車旅のネタは尽きていて、何を書こうか日々考えながらブログを書く。
 
ただ、少しずつ書き終えるまでの時間は短くなり、以前の半分くらいの時間で書けるようにはなった。
 
ブログの頻度については、以前は毎日更新していたが、今年になってからは1日おきにしている。
 
毎日更新を行うとなると、記事を書く時間がとられて活動時間が制限されてしまう。それとともに書くネタもなくなってしまうのである。
 
ブログを書くことが活動するモチベーションを高めてくれ、活動することにより記事が書けるのというわけだ。
 
以前にもブログで書いたことがあるが、黄金の15年(60歳から74歳までの期間)をいかに充実させるか。それが”死ぬときに後悔しないために”大切なことだとぼくは考えている。
 
けれど、日々の生活の中でついつい楽な方へと流されていってしまう。
 
それがブログを書くことでなんとか歯止めがかけられている。動き出すきっかけになっている。
 
そうして目的を忘れないでいることがどうにかできているのである。
 
 

自炊生活

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ここまで長くなってしまったが、昨年12月25日に息子が一人で暮らす実家にぼく一人だけが戻ってきた。
 
隣町では家内と他の息子とが一緒に暮らしている。
 
ここはたしかに不便な場所で、鉄道の駅に出るにもバスで30分近くかかる(ぼくは20年間、ここから2時間かけて仕事に通ったのだが)。
 
近くにある店はスーパーとドラッグストアくらい。
 
ただ、親から受け継いだ家を守っていかなければならないという思いから戻ってきた。
 
実家に戻ってきたことにより、生活で一番変わったことは自炊をするようになったことだ。
 
それまではチャーハンくらいしか料理はしていなかった。あとはみんな家内にお任せだった。
 
それが自分で何もかもやらなければならない。味噌汁の作り方からいちいち調べながらやることになった。
 
ちなみに息子とは生活のリズムが異なるので、料理は各自が自分の分だけ作ることにしている。食費に関する家計も別だ。
 
献立については毎日考えるのが大変なので、だいたいの1週間の献立を決めてある。
 
月曜から木曜までは魚料理。金曜はカレー。そして土日は肉料理。
 
あとはスーパーに行って特売品や閉店近くの値引きを狙って買ってくる。
 
おもしろいことにひとつの料理を覚えると、多少の変更でいくつかのバリエーションができることに気がついた。
 
作り始めてから急に思いついて違う材料で別な料理にすることもある。
 
ただ、あまり手の込んだものは作っていない。簡単なものばかりだ。
 
とりあえずこの1年、こうしたバリエーションで済ませてきた。そろそろ新しい1品を加えてみようかと考えている。
 
 

息子との関係

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息子と一緒に暮らし始めた頃、生活リズムが一緒になったりした時はよく話をしたり、料理をお互いが作ったりもしていた。
 
2月に骨折した時は、救急車を呼んでくれたりいろいろ助けてもらった。
 
それがだんだんと話をしなくなった。
 
なんとなく険悪なムードになり、ついには顔を合わせることも無くなった。
 
生活の場は1階のリビングになるが、その上に息子の部屋があり、こちらが活動している音が気になってしまうようだ。
 
息子の生活のリズムは1日が24時間よりも長いので、少しずつ後ろにずれていく。
 
そのため、いま寝ているのか起きているのかがこちらにはわからない。
 
なるべく大きな音を立てないようにするくらいしかやりようがないのである。
 
 

他の人と話すこと

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それまでの生活と大きく変わったのは11月からだ。
 
コロナによる緊急事態宣言などで、パソコンボランティア活動停止、句会はFAX投句に変わるなど人と会うこと、会話することがなくなっていた。
 
すると、交流分析でいうところのストローク不足になり、なんだか毎日がつまらなく感じてしまう。
 
それが、緊急事態宣言が解除されたことにより、パソコンボランティア活動が再開。さらに11月からは新しい仕事に就いた(忙しくて11月は句会に参加できず12月から参加した)。
 
パソコンボランティアでは定期開催以外に、公民館のスマホ講座が土日に行われ、受講者と話す機会が一気に増えた。
 
仕事を始めたことにより、数名のスタッフや子どもたちと会話するようになった。とくに子どもたちとの会話は新鮮で、脳を活性化させてくれている。
 
やはり人間は、他の人とコミュニケーションをとることが心の健康にとって大切なことなんだと思う。
 
ときにはそれが原因で悪影響を及ぼすこともあるけれど、それが人を成長させてくれるし、喜びも与えてくれるのである。
 
 

最後に

この1年を振り返ると、
 
実家に戻り家の中を片付けて不要なものを捨てたり、料理を覚えたり、自転車を再生したりして、新しい生活の場を作った期間。
 
続いて何か動き出したいけれどそれができないモヤモヤした期間。
 
そして、忙しいくらいの活動や人とのコミュニケーションにより充実した期間。
 
以上の3つに区分できると思う。
 
 
 
最後になりましたが、この日記ブログをお読みいただいている方々に感謝します。
 
どんな精神状態の時もブログを読んでいただいていることが心の支えになっていると強く感じています。
 
今後も定年後の残りの人生を足掻いて生きている姿にお付き合いいただけたら幸いです。
 
では、このへんで
 
 

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