Hakuto-日記

定年後を楽しく、生きたい人生を生きる!

生命(いのち)の湖 【『わたしは灰猫』を読んで】

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[jplenioによるPixabayからの画像]

 
秋田での湯治に一冊の本を持っていった。
 
『わたしは灰猫』という青山繁晴氏の著作である。
 
舞台は日本で一番雨の多い場所。
 
「灰猫ってなんだろう?」
 
秋田の雨の宿で、そんな疑問からページを繰りはじめた。
 


 

 

青山繁晴という作者

青山繁晴とは何者か。
 
小説家としてはこの本が処女作である。
 
けれども実はエネルギー安全保障の第一人者でこれまで多数の著作がある。
 
ジャーナリストから独立系シンクタンクの経営者となり、現在は参議院議員となっている。
 
 
 
氏の名前は昨年の米大統領選に関するYouTube動画で初めて知った。しかしそのときは、それほどの関心は持っていなかった。
 
ある日、イオンに入っている本屋の古書コーナーに特化本として置かれている中に氏の名前を見つけ、名前を知っているというだけで内容もわからずにその本を買った。タイトルは『死ぬ理由、生きる理由』というものだった。
 
それは、硫黄島(いおうとう)で日本本土にいる家族や子孫のために激戦を戦った勇士たちのことが書かれた本だった。
 
タイトルが示しているように「生と死」について問いかけている。
 
氏の行動や活動は、自身の死生観という哲学あるいは信念といったものに突き動かされているように思える。
 
硫黄島の戦闘についてはクリントイーストウッド監督が映画化している。
 
 

灰猫

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あなたは「灰猫」という言葉を聞いたことがあるだろうか。
 
猫が竃(かまど)にもぐって灰だらけになることをいうのだそうだ。これは、角川俳句大歳時記に書かれていることで、「竃猫」という季語の傍題になっている。もちろん季節は冬である。
 
ちなみにホトトギス新歳時期には竃猫はあるが灰猫という傍題は載っていなかった。
 
ここに登場するのはこの灰猫という人物と若い咲音(さいん)という娘である。
 
灰猫は車椅子に頼っている老婆である。
 
灰猫はさまざまな不条理に遭いながらも、しっかりと自分の人生を生きていこうとしている。
 
いつかまた、生命の湖に出会えることを信じて、そのための準備を怠らないでいる。
 
 

咲音

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[David MarkによるPixabayからの画像]


 
咲音は、父が死んで、アラスカから幼い頃に住んでいた家に母を訪ねてくる。
 
会おうか会うまいか逡巡した末に訪れた家に母はおらず、灰猫が新しい家主になっていた。
 
咲音はなんのために母を尋ねようとしたのか。
 
それは、自分のルーツを確かめたいということ。誰しもが願う当然のことだ。
 
しかし、そこで出会ったのは、淡々と今を生きている灰猫だった。
 
そして咲音は、灰猫の強い意志に突き動かされて生命の湖に出会うための準備を手伝っていく。
 
 

生命の湖 

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[jplenioによるPixabayからの画像]
 
さらに灰猫と咲音を手伝うのが老爺とその孫である。
 
老爺も孫も灰猫の計画など知らない。それでも手伝うのだ。
 
さらに孫は灰猫を追い出そうという者からも二人を守ろうとする。
 
すると、突然その日はやってきた。
 
生命の湖が誕生したのである。
 
咲音の助けにより計画は実行される。
 
そして咲音はさらに生命の湖を泳ぎ、深く潜っていく。
 
 

感想

 
主要登場人物は灰猫と咲音。
 
二人とも女性である。
 
その二人を助けるのが男性。
 
その孫は咲音よりも若い。
 
灰猫は悲しい過去がありながらも日々を懸命に、そして淡々と生きており、女性の強さを象徴している。咲音は母親という存在を一人の女性として見られるようになり、羊水のような生命の湖の中を泳ぐことにより新しい人生の光を見つけていったのだと思われる。
 
たとえ会えなくても、たとえ離れていても母と子の絆は切れることはない。それは、父との絆よりも強くて深いものであるような気がする。男は一生母を慕い、女は母になっていく。
 
昔から、男性は女性や子どもを守るために命をかけてきた。
 
少し前の時代であれば、あの孫が硫黄島で戦った兵士であってもおかしくない。
 
 
こうやって淡々と女性は女性の役割を、男性は男性の役割を果たしてきた。こうした営みが繰り返されて命が繋がれてきたのである。
 
その結果に現在のわたしたちがいる。
 
こうした使命を果たすことに最善を尽くし、死ぬ直前まで精一杯生きることが「生きる」ということであり、「死」ということではないかと思う。
 
しかしそれだけではない。わたしたち日本人が日本人であるためには日本の文化を知らねばならない。文化とは伝統のうえに成り立つものである。伝統を知ることは日本人のルーツを辿る旅でもある。
 
ルーツを知ることは今日の自分を知ることになるのである。わたしはいまもこの旅の途中にいる。
 
 
では、このへんで



 

 

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