[Roland SteinmannによるPixabayからの画像]
子供は手がかかるほど可愛いものである。
車も手がかかるほど愛着が湧くものである。
ただし、これに取られる時間やかかる費用にたいする覚悟が必要である。
子供は成長すると親離れして相手にしてくれなくなる。
しかし、車はますます手がかかるようになり、ますます愛情が湧いてくるようになる。
「そろそろ次の車に買い替えようか」
そう車の中でつぶやいていると、機嫌を損ねて故障するという話を聞いたことがある。
あの時もそうだったのだろうか。
車酔いの原因
前回、山形の家内の実家へ車組と新幹線組に分かれて帰る話を書いたが、家内が車に乗りたくない理由のひとつに車酔いをするということがあった。
車酔いをする原因はカーブで体が左右に傾いたり、発信停止の際に前後に揺れることにあるが、それだけではなく、これらに車の匂いというのも重なっている。
匂いというのは何か。これはどうやらガソリンの匂いらしい。
シトロエンBXに乗り始めて数年後からこのガソリン臭が車内に漂うようになった。
はっきりしたことはわからないが、セダンと銘打っていても実はハッチバック。室内とトランクは完全に仕切られてはいない。
ガソリンタンクに溜まったガスを抜くパイプが荷室を通っていて、そこから匂ってくるようなのだ。
これに、子供たちが食べこぼしたカスの匂いとが入り混じって、「車酔いガス」になって車内に充満するというわけである。
残念ながら、もう鼻が慣れてしまって僕にはそれほどの臭いとは感じられない。
だが、家内や子供たちは車のドアを開けたときに必ず苦情を言うことになる。こうしたことが積み重なって、「車には乗りたくない」となってしまったようなのだ。
一度、整備工場で見てもらったが、さほどの改善は見られなかった。
黒磯から那須あたり
東北自動車道に乗った時、黒磯から那須あたりはどうやら鬼門となっているようだ。
以前乗っていたランサーEXでタイヤがバーストしたのは那須インターの手前だった。
次にやらかしたのは黒磯あたりでのスピード違反であった。
このときは、やはり山形に帰るときで、この夏休みをとるために残業を重ねていた。そして、首都高を抜けて東北自動車道に入ったところ、眠くて仕方がない。
いつものとおり、最初の蓮田サービスエリアで休憩し、眠くてたまらないのでここで仮眠をとった。
居眠り事故を起こさないためにここまでは適切な行動だったということがいえると思う。
しかし、その後がいけなかった。仮眠というのは15分から20分くらいのつもりであったが、これが1時間以上も眠ってしまった。
これでは、山形に到着するのが夜になってしまう。
そう思った僕は、ちょっとよけいにアクセルを踏み込んだ。
眠気が完全に抜けていないので、眠らないようにともかく前を必死で見ている。当然後ろなんて見る余裕がなかった。
すると突然、「その車止まりなさい!」という拡声した声が後ろから聞こえた。
「あっ、うちだ」そう叫んでバックミラーを見ると、パトカーの屋根の赤色灯が光っている(サイレンはない)。ゆっくり減速して路肩に車を止める。パトカーも続いて止まり、免許証を持って降りてくるように言われる。
こうしてパトカー内に誘導され、反則切符を切られたというわけである。
那須からの帰り道
[Jan MallanderによるPixabayからの画像]
また、あるとき山形からの帰り道で那須に1泊して帰ったことがある。
この頃は相模原から平塚の実家に移っていて、那須高原は平塚に比べると真夏の暑さからは程遠い、涼しくて天国のようなところだった。ちなみに山形は盆地で夏は暑く冬は寒いのである。
ところが夜から雨が降り出し、翌日も雨で、それもときどき強い雨が降ったり雷が鳴ったりと大気がとても不安定になっていた。
那須インターから東北自動車道に乗り、黒磯あたりに来たときには、空が黒雲に覆われてあたりが暗くなっていた。雨もますます激しくなって、ほとんど前が見えない。そのため、どの車も徐行運転し、ときにはまったく動くことができないときもあった。
シトロエンBXは1本ワイパーで、2本のワイパーよりもブレードが長い。これが動くたびに水を左右に跳ね飛ばす。そして高速側にすると、目の前で長い棒が必死で左右に動き、いまにもワイパーの先がすっ飛んでいくのではないかというくらいに頑張って動いている。
そんな状況に気をとられていると、何やら足先が冷たい。前の車が止まったときに足元を見ると、フロアシートが水浸しになっている。雨が浸水してきたのである。
この車に乗る前に3台の車を乗り継いできたが、こんなことは初めてだった。
幸い、黒磯を抜けると黒雲は去り、空が明るくなって雨は止んだ。
けれど、家に帰るまで靴は濡れたままであった。
最後に
最高に楽しいけれど、壊れてばかりの車。それがシトロエンだった。
「絶対長く乗るんだ」、という思いがあってちょっとした不具合でも整備工場で直してもらっていた。
残念ながら、毎年修理代がかかりすぎて、結局13年7ヶ月しか乗ることができなかった。
職場の上司にニッサン・サニークーペを大事に乗っている方がいて、当時聞いた時は20年目であるということだった。
だから、僕も20年を目指していたのだった。
だが、毎年の修理代に溜まりかね、「これなら新車が1台買えるじゃないか」と思い始めたころ、再び走れなくなる故障が起きた。
それを機に買い換えることにしたのだ。この最後の故障は、実ははっきり覚えていないのだが、たしかラジエーターのファンが回らなくなったのだと思う。
それにしても、国産の車では考えられないような故障や不具合が発生するという、問題児(車)であった。
その後に買い替えた国産のマツダでは、こういった故障や不具合は皆無で、それもまた面白くない。運転フィーリングは「可もなく不可もなく」というもので、性能もよく、故障もない優れた車なのだが、運転が楽しいと思うことはなかった。
そうして、ますます車に乗らなくなり、定年を機に現在の車のない生活を送っているわけである。
以上、今回で一応車についての話は終わります。また、次の車に乗るようなことがあったら続くかもしれません(自転車日本一周中は次の車を何にするかを考えながら走っていました)。
では、このへんで
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