シトロエンBXシリーズ3回目。
ひと昔前のシトロエン、最大の特徴はなんといってもハイドロニューマティックである。
BXの後に出たエクザンティアからはより進化したハイドラクティブが採用されているが、原理は同じだ。
ハイドロニューマティック・サスペンションは、高速道路を走っているときは、道路の上をふわりふわりと飛んでいるようなのに、一般道を走ると意外と硬く、路面の凹凸をゴツゴツと拾う。
そんな不思議なサスペンションで重要なのはオイル。
適正量が入っているか。オイル漏れはないか。
オイルが漏れていたら大変なことになる。
ハイドロニューマティック
ハイドロニューマティックとは、以前にも紹介したが、水と空気によるサスペンションといわれるもので、実際にはオイルと窒素ガスが入っている。
オイルと窒素ガスは、スフェアという直径15〜20センチくらいの緑色の球体に入っている。この球体の中をゴムで仕切り、上側に窒素ガス、下側がオイルで、このオイルが窒素ガスの圧力を制御するのである。
(出典:Wikipedia )
こうした構造により、車体を水平に保つ機構(セルフレベリンク)や車体の高さを変える機構(ハイトコントロール)が備わっている。
ハイトコントロールにより、BXでは車高を4段階に変えることができた。一番下は盗難防止用で走行はできない。2段目は通常走行用、3段目は車高を高くしたい場合で、走行はできるがサスペンションが硬くなり、乗り心地は悪くなる。そして一番高い位置は整備用で、タイヤを交換するときなどに使用する。
BXは、後輪が半分近くスカートと呼ばれるカバーに覆われているので、こうすることによりタイヤの脱着がしやすくなる。
実際3段目で走ることは、車が跳ねてしまうので、速度を上げて走るのはきつい。僕はキャンプに行った時などに大きな石をまたぐときや、雪道の轍が深いところで使用したが、スピードは出せない。
セルフレベリング機構はおもしろい。車体を水平にしてくれるわけだが、のんびりしていて人間味がある。
たとえば、後ろの座席に大柄な人がのると、一旦沈み込む。ところが、1、2秒するとむくむくと車高が上がってきて、車を水平にしてくれるのである。
逆に、この大柄な人が降りると、いったん車高が上がってからゆっくりと下がって水平になるのである。
父が亡くなって実家に引っ越すときに、この車で少しずつ荷物を移動させたのだが、重たい荷物を乗せてもこの機構が役に立った。
山形へ帰省
家内の実家が山形で、子供が小さい頃は毎年帰省していた。
車のメリットは、車の定員までは同じ料金であることだ。
ところが、子供たちがだいぶ大きくなった頃、家内が車ではなく山形新幹線で行きたいと言い出した。子供たちも同調する。
妥協案として、行きが車のものは帰りは新幹線、行きが新幹線のものは帰りは車ということにして、僕以外を二組に分けた。
そして行きの車は次男と三男組が乗ることになった。
出発前、車の点検をしていると、車の下に緑色の液体が溜まっている。ハイドロニューマティック用のLHMというオイルだった。ちょうどラジエーターの冷却液のLLCのような緑色である。
出発前日だったので、手持ちのLHMオイルを補充して出発した。
当日、東北自動車道に乗り、白河を過ぎたあたりから調子がおかしくなってきた。はっきりした症状はあまり覚えていないが、たしかハンドルが重くなって路面の振動をもろに受けるようになってきたのだと思う。
当然、LHMオイルが漏れているのだとわかる。
そして、その先の安積PAにピットインする。車から降りてみると車高が低くなっていた。
ここでJAFを呼んでも高速から降りたところまでしか連れていってもらえないだろう。それに、シトロエン独自の機構なので、修理できるところは限られている。
そこでまず、購入先の整備工場に連絡してみた。
「すいません。今、東北自動車道の安積パーキングにいるんですけど、LHMオイルが漏れて走れなくなっちゃいました。どこか近くに整備工場はありませんか」
「ちょっと待ってください。(少し待つ) もしもし、最近ここを辞めたものが白河で整備工場をやっているので、対応できるか確認して連絡します」
少しして携帯に連絡が来て、対応してもらえるというので、連絡先を教えてくれた。その電話番号に電話すると、トラックを手配してこちらに来てくれるという。
そうしてしばらく待っていると、トラックが来た。そこで、シトロエンを動かしてトラックに乗せた(ゆっくりなら動かせた)。子供たち2人はトラックの助手席に乗せてもらい、僕一人がトラックの荷台に乗った車にの中にいる。
車は修理に1週間ほどかかるという。
そこから一番近い郡山インターチェンジで下り、JRの郡山駅まで送ってもらった。そして荷物を下ろし、結局、新幹線で山形へ向かうことになったのだった。
最後に
オイル漏れが分かっていながら車にこだわったのは失敗だった。
車で行こうといって嫌がられたことで、意固地になってしまったようだ。
結局帰りも新幹線で、4人がけには家内と子供たち。僕は一人別な席であった。
やはり男は女の意見に従うのが良さそうである。
1週間後、車を取りに再び新幹線で白河へ向かった。
そこは、その年の春に職場の仲間と三春の滝桜を見にいったときに立ち寄った南湖のほとりで見覚えのある景色であった。
白河の工場で修理してもらったあと、いつもの西武の工場で、緑色の鉄球(スフェア)は全て交換してもらい、足回りは新車のように蘇った。
では、このへんで
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