[S. Hermann & F. RichterによるPixabayからの画像]
心に元気がない。
心を元気にしたい。
その心が脳にあるのではないとしたら。
心が脳ではなく体のなかの臓器にあるとしたら。
心を元気にするには内臓を元気にする必要がありそうです。
そして、内臓を元気にするにはその細胞を元気にすること。
さあ、細胞の中のミトコンドリアを元気にして心身ともに元気になりましょう。
ということですが、
今回はまず、心が脳以外にあるのかということについての話です。
心肺同時移植をしたらドナーの嗜好や振る舞いが受け継がれた
心配同時移植手術を受けたクレア・シルヴィアというひとりの患者の手記があります。
『記憶する心臓 A Change of Heart』という本です。
カバーの折り返しには次のように紹介されています。
原発性肺高血圧症という難病に冒され、心肺同時移植手術を受けたクレアは、手術後、自分の中に別の誰かが存在していると感じ始めた。
食べ物の好みや性格にも変化があらわれ、不思議な夢を見るようになる。
一体自分に何が起こっているのか、答えを求めてクレアの旅が始まる。
脳死の定義に大きな疑問符を投じる衝撃のノンフィクション!
彼女が心肺同時移植を受けたのは1988年、当時48歳でした。手記が出版されたのは1997年、手術から9年後です。日本で翻訳が出版されたのが翌年の1998年。いまから23年も前、そして手術が行われてからは33年も経ちます。
けれど、こうした事実はあまり世間に知られてはいません。
それは、カバーの折り返しにあった紹介文の最後の文章、「脳死の定義に大きな疑問符を投じる」ということが原因なのかもしれません。
この文章は少し言葉が足りません。「脳死を人の死とするという定義」ということですね。
もし、脳が死んでも心が生きていたとしたら、臓器移植が行えなくなってしまいます。
それはさておき、クレアは幸運にもレシピアント(臓器移植を受ける患者)の登録を行った直後にバイク事故で脳死状態の18歳の男性の心臓と肺を入れ替える手術を受けることになります。
そして、手術後に夢のなかにある若い男性があらわれます。彼女はその男性がドナーであると確信します。そればかりでなく名前までわかってしまったのです。
彼女が受けた移植手術はニューイングランドで初めて行われた心配同時移植だったため、テレビや新聞などで広く報じられます。
手術後3日目から運動のために自転車を漕ぎはじめたそのとき、リポーターから「あなたが一番したいことは?」」と訊かれ、「たった今、すごくビールが飲みたいわ」と答えます。しかし、彼女は自分自身で驚きます。それは、ビールなど好きではないからでした。
また、嫌いだったピーマンが好きになったり、それまで敬遠していたチキンナゲットが無性に食べたくなったりと食べ物の好みが変わりました。
さらには男性のような歩き方をしたり、活力がありあまるように活動的になったりしました。
そして、あるとき図書館で事故当日の新聞をみて驚くことになるのです。
そこに出ていたバイク事故で亡くなった青年の名前が夢に出てきた名前と同じだったのです。
その後、ためらった末に遺族に連絡し対面を果たします。
幸いにもドナーの家族に受け入れてもらい、その後も親しく交友しました。
クレアの場合、自分の中にもうひとりの人格が宿り、それが(ドナーの心臓と肺の)心を突き動かして自分でもわからない行動をしたりしていたそうです。
しかし、あるときにもうひとりの人格が新しい居場所にいることを受け入れた夢を見ます。
それからは少しずつおかしな行動は減っていったと言います。
この本に書かれたことは、非常に詳細でありとても作り話とは思えません。
なお、臓器移植を受けた患者がみな同じように感じているのかというとそうではありません。
クレアのように敏感に感じる人、あるいは自分の体に注意深い人とそうではない人がいることが、そのような違いとして現れるのだと思われます。
しかし、このようなことを一人でも感じるものがいるのであれば実際にあり得るということです。
それを複数のレシピアントが証言しており、なおさら信憑性は高まります。
内臓が生み出す心
西原克成氏の著作『内臓が生み出す心』のなかで、このクレアの手記のことに触れていて、氏は腸管に由来する肺が肝臓に匹敵するくらいに大きな臓器で腸管が生命の源であることから当然と言わんばかりに、心臓移植だけではここまで心は変わらないと述べています。
これから述べる西原氏の説は、とてもユニークで最もと思われるところが多々あるのですが、根拠の説明が中途半端だったり専門的な用語が度々使われて、一般人には理解不能なところがありました。
できるだけ理解したと思われるところだけを紹介します。
「高等動物のはじまりは、まず腸が発生し、それから徐々に複雑な体制が出来てきます」。心や魂は腸を持った動物に宿るようだ。それは、脊椎動物の進化を解明すれば心や魂、霊や精神の発生も明らかになるかもしれないと述べています。
腸の要求に従って身体の筋肉を使って移動するのが動物の特徴であることから、腸の望みが心や魂ということ。
カナダの脳神経外科医のペンフィールドは「脳にこころは局在しない」と述べていることを挙げ、その証明となる実験を紹介しています。
フランスのル・ドワランという女性学者はウズラとヒヨコの受精卵から脳や脊髄になる部分を互いに切り取って交換移植を行いました。孵化前の胎児では組織免疫の遺伝子が眠っていて(これを免疫寛容という)、このように交換移植を行ってもちゃんと孵化するのだそうです。
さて、その結果、ウズラの脳を持つヒヨコはやはりニワトリの泣き声しか出さないということでした。
また、著者がメクラウナギの脳とサメの脳をイモリとラットに移植したところ、行動様式に変化はなかったということです。
心が脳にないとすると、どこにあるのでしょうか。
著者はまず、生命の本質から考えています。
そして生き物と無生物の違いに着目します。
その違いとは、古くなった物体のパーツを新しくつくり替えるか替えないかの違いしかないといいます。
そして生命を次のように定義します。
「エネルギーの渦がめぐるとともに個体のパーツが発生・成長・リモデリングする仕組みのことで、これによりエイジングを克服する仕組みです。個体丸ごとのつくり替えが遺伝現象であり、通常は生殖を介する」。
生命の本質を脊椎動物でみると、エネルギー源の酸素と食物の消化•吸収を行う腸管内臓系がリモデリングを支えていることがわかります。
高等生物のはじまりは、まず腸が発生して、それからさまざまな器官が徐々に作られていきます。心や魂は、腸を持った動物に宿るのではないか。
そして、こうしたつくり替え(リモデリング)は動物の身体部分の側面で、質量のある物質エネルギーで成り立っている。一方、心や精神・思考・霊・魂という質量のないエネルギーもまた生命エネルギーである。
心が生命エネルギーとすると、単細胞動物の場合、核酸やタンパク質など生命活動の機能の中に宿っており、多細胞動物では、生命の源もっとも古い腸管内臓系器官の機能であるぜんどう運動と消化吸収機能と原始の単細胞の原生動物の姿を保っている白血球に宿っている。
そして、高度に機能分化した神経細胞や皮膚・骨・軟骨細胞には心の機能がほとんど失われている。
精神と思考は、体壁運動筋肉系の機能に宿り、これらを持たない動物にはこうした生命エネルギーは発生しない。
ここで、著者のいう心の定義を示しておきます。
「心とは、五欲に発する感情で、うれしい・悲しい・怒り等、内臓から発する情動のこと」。
五欲とは、財・名・色・食・睡のことで、呼吸を行う腸(顔・頸・胸部・横隔膜など)が五欲に発する感情や精神を表します。
腹の腸(肝・脾・膵・胃・腸)が財・食・睡のもとで、生存の欲。自我はここに存在します。
出口の腸(膀胱・睾丸や子宮・卵巣・直腸・肛門)が名と色の欲のもとで、精神活動・文化活動は自己実現であり、生命の拡大再生産の性欲に極めて近いとしています。
ドナーの嗜好や振る舞いを本当に受け継いだのか
[Free-PhotosによるPixabayからの画像]
クレアがドナーの家族と親しくなった後、ドナーの3人の姉といっしょにテレビ番組に出演したときのこと、クレアが夢にドナーが現れたことやドナーの好きな食べ物が突然好きになったことなどについて、視聴者やゲストから色々と質問されます。
ゲストの心臓外科医は「クレアがドナーの家族から優しさと寛大さを分け与えられたというのなら、それはそれで素晴らしいことです。しかし、彼女はドナーからは心臓以外のなにものも分け与えられていません」というと、客席から盛大な拍手が送られます。
「移植手術を受ける患者は極めて重篤な状態にあると言えます。クレアも非常に危険な状態、いうなれば死の床にあったわけです。すぐ先に終わりが見えていた。その死にかけた体に、われわれがいきなりコルヴェットのエンジンを取り付けてしまうのですから、その体が新しいエンジンで走りはじめたときには、あれこれ不調和が出てくるのは当然でしょう」
スタジオの視聴者からも「彼女が以前より活発になるのはあたり前でしょう。」健康な心臓をもらい、もう一度生きるチャンスを与えられたんだもの、当然だわ!」
他の発言者は「あんたたちの言うことは、どれも信じる気になれん。みんな新しい脳味噌でも移植してもらったほうがいいじゃないか!」
そして、「番組の最後は、人間の心臓は『ただのポンプ』にすぎないという外科医の言葉で締めくくられた。」
以上のとおり、当時の医師も一般の人もクレアの話を信じられないという状況がわかります。
そしてそれは今でも変わらないことでしょう。
ドナーの嗜好や振る舞いを受け継ぐ可能性
クレアは、臓器移植を受けた者たちやこれから手術を待っている人たちのいくつかのサポート・グループを作り上げました。
そのなかの臓器移植を受けた者たちだけの小グループの中ではなんでも言えるような仲になっていて、その中ではクレアと同じような体験がいくつも聞かれたということです。
たとえば、
40代の男性トーマスは、移植手術後、性格が激変した。手術前は、何事につけ引っ込み思案で内省的だった。グループに参加するときは野球帽をかぶり、中身は9歳のこどものようにおしゃべりなやんちゃ坊主だった。
トーマスの新しい心臓は、ニューヨークで事故で亡くなったティーンエイジャーの少年から提供されたものだった。それまで黒人に偏見を持っていたのだが、移植手術後は快く黒人と付き合えるようになった。
50代初めの元造船技師のマリオは、移植手術後、生活習慣が激変したことに妻とともに気づいた。手術前は嫌いだったバナナが好きになった。それまではデザートに執着するタイプではなかったが、甘いものが大好物になり、神経質なくらいきれい好きだったのが、だいぶ大目に見られるようになった。
移植手術の1年後、親類を訪ね、そこで小さな協会に入ったところ、マリオは故郷に帰ってきたような懐かしさを覚え、神父の顔まで見覚えがあった。しかしその協会に来たのは初めてだった。そしてそこが心臓を提供したドナーが通っていた協会であることを確信した。
20代のカーリーヘアの女性ローナは、自分より年長のドナーから臓器を移植されたレシピアントだった。移植手術後、自分がやけに大人びた、妙に分別くさい人間になったとローナ自身感じた。ローナがソーシャルワーカーから聞いた話では、ドナーの家族はレシピアントとなるのが赤ん坊のいる若い母親と聞いて、臓器提供を決意したという。
移植手術後、ローナは恐ろしい幽霊のようなものが現れる夢を見て、何度も夜中に目を覚ますようになった。そしてその白い影が夜眠れない時にも現れるようになる。「どきどきもう二人の姿が見えることがあるの。それは黒い影で、すごく怖い。その二人はナイフをもってる。あるいは拳銃、さもなきゃ斧のようなもの。わたしに危害を加えるつもりよ。どんどん近づいてくる」「わたしはついにこう言う、『放っといて!』二、三回くり返してそう言うと、見えるのは白い影だけになるわ」
以上のような変化や葛藤がおそらく多くの移植患者に生じているだろうことがわかります。
手記の最後の章では、クレアの経験についてまともに取り合ってくれた専門家の意見をまとめてあります。
その中のいくつかを紹介します。
細胞記憶の理論を広く応用している学者のひとりに、ディーパック・チョプラがいる。たくさんの読者を持つ著者の一冊の中で、彼はこう述べている。腎臓、肝臓、心臓などの臓器移植を受けた患者のなかには、手術後、ドナーの記憶を共有するようになるものがいると。『ひとりの人間の体の一部が別の人間の体に移植されると、それとともに記憶まで植えつけられる』とわたしのケースを紹介したあと、チョプラは次のように説明づけている。
そうした事象に対して超自然的解釈を試みるよりは、われわれの体には経験が物理的表現をもって刻まれていくことの証しと考える方が妥当だろう。経験というものは、われわれが自分の内に取りこむものであることから、細胞には記憶がしみこんでいる。したがって、他人の細胞を体内に取りこめば、同時に記憶までをも取りこむことになるのだ。
心臓のエネルギーおよび心臓と脳の関係を研究しているハートマス研究所の研究主任のローリン・マクレティは次のように述べている。(一部を抜粋)
もうひとつ、謎を解く鍵となりそうなのが、ボストンで最近明らかにされた事実です。1995年、ハーヴァード大学メディカルスクールの研究員であるドクター・ミンへ・ファンが、心臓にこれまで知られていなかった新しい細胞が存在することを発見しました。(中略)ICA(アドレナリン作動性心筋)細胞には磁石のような性質があることを考えると、心臓は磁場に反応し、それと互いに作用し合うことができると推察されます。脳にもこれと同じような磁力を持った細胞が存在しています。したがって、こうした新しい細胞の発見によって、心臓と脳は電磁レヴェルでのつながりをもっているという可能性が強く示唆されるようになったといえるでしょう。
ちなみにクレアは、思考力や知性はもっぱら脳がつかさどるものと思っていたが、生化学者キャンディス・バートの説を知って考えが変わった。
人間の感情は、ニューロペプチドがレセプターに取り付いてニューロンの電気的変化を促進させることによって生じるというのがバートの説だ。
ペプチドが脳内に存在していることはよく知られているが、バートと仲間の研究者たちは、それが心臓を含めて全身に散らばっていることを発見した。胃にもニューロペプチドが存在していると聞いて、わたしは”腹にすえかねる”とか腹の虫がおさまらない”といった表現が、改めて納得できたような気がする。
まとめ
最後までお読みいただきありがとうございます。
以上をお読みいただきどうのように感じられましたか。
私は肌感覚として心は脳だけに存在するのではなく、体全体の細胞にあるように感じます。
そのなかで、とくに食べ物の好みを左右するのは腸(腸には味を感じる細胞があるということです)であったり、ときめきなどの喜びの感情や悲しみなどの感情は胸で感じることから心臓や肺にあるという、西原氏の説に魅力を感じます。
そもそも心や精神、魂、思考、気など目に見えず、質量のないものの存在を現代の科学では正確に把握できていないのが現状です。
そして、これらの言葉の定義もあいまいです。
西原氏は、心は腸管(口から肛)に存在し、精神・思考は筋肉とそれを支配する脳、そして心と精神で魂となると述べています。気については詳しく触れられていませんでしたが、電磁波と思われる光を捉えたということですので、体の外にまで影響を及ぼすものだと考えられます。
ひょっとしてこのあたりから、シンクロニシティの謎も解明されるのではないでしょうか。
このように心の大半が胸や腹にあると考えると、心の健康とは内臓の健康と同じだといえます。
すると大切なのは内臓の細胞が元気になるようにすることです。
また、筋肉を鍛えれば脳が活性化し、反すう思考といううつになりやすい習慣も改善できるのではないでしょうか。
いずれにしても、人間のひとりひとりは心と体で成り立っています。ですから体の不調が心に影響し心の不調が体にも影響しています。
そして、体が全ての器官や骨や筋肉を連携させているように、こころも体全体で機能していても不思議はありません。
いまだによくわかっていない心へのアプローチは案外、内臓の健康からかもしれないということです。
では、このへんで
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